32歳で公務員を退職した経緯について(2)

続きから
 罰則は厳しいもので、腕立て伏せやスクワットなどの体力的なものや、廊下に立ったり、反省文を書いたりなど、今でも問題となっている罰則などをやっていました。
 また、消防はチームワークが不可欠な職業であるため、個人の失敗を連帯責任で皆で罰則を受けることも、しばしばあり、精神的にも肉体的にも消防という職務に専念する心構えを鍛えるための意識付けに罰則をやっていた印象でした。
 しかし、罰則を履き違えている教官もいます。
 私たちの消防学校教官は現役消防士のなかから派遣されています。ですので、消防の知識を理解していても、教育的なスキルを持っているかどうかは考慮されていません。度が過ぎる指導を生徒に行い、任期を終えることなく、配置替えされる教官もいました。
 約7ヶ月、いろいろな教育・指導を受け、互いに励まし合い、消防士の卵は消防学校を卒業し、各所属に配属されました。

 私も消防学校で学んだことを活かすことが出来るかと思っていましたが、
 本当に重視しなければならなかったことは、消防学校で得た知識よりもまず、社会的な常識を学ぶことだったと今でも悔やみます。

 所属での若手職員の仕事は、
 ・朝、出勤し職員全員に挨拶。(無視されることもあり)
 ・係長以上の役職を持っている職員のお茶・コーヒーを出す。(ミルク、砂糖の配分を覚えておき、関係ない小言を言われつつ作業)
 ・昼食、夜食の準備(上司は少しでも不満があれば文句を言う。当時、当直全員分の晩御飯を若手職員が作るのですが、各上司に晩御飯の献立を確認しに回り、気に入らなかったら断られ、再度献立を考えるというもので、上司は子供のように、「豚肉嫌いやから。」「魚が嫌いやから。」「昨日、家の献立と同じやからら、」と断わる始末。仕事する時間も削られ、業務どころではなかったです。
 ・訓練をするのに積極的な上司もいましたが、業務量を考慮せず訓練し、若手職員が業務を行うのが夜からとなることも多々ありました。

 一番やりづらかったのは、所属内で派閥みたいなものがあり、嫌われている上司と仲良くしていると、あまり良く思われず、いじりと言うなの虐めを受けることもあり本当に苦痛でした。
 勤務に行く前日は仕事場のことで頭がいっぱいになって不安になり、当日は出勤するも職場近くまで来ると、行きたくないあまりに20分程気持ちを落ち着けてから出勤するという謎のルーティンが出来るほどでした。
 その勤務地で五年間勤務し転勤となりました。
 そこでは、……

 今回はここまでです。
 スキして頂いた方、読んで頂いた方、
 ありがとうございます。この記事を書くことで自分の中でも心境整理ができているかと思います。つたない文章ですが、読んで頂けると励みになります。
 次回は7月21日に(3)を掲載したいと思います。
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