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26年生きてようやく気づいた。私の人生は誰かのためにあるのではないことに。

私は自分の気持ちを我慢してしまう癖がある。今日も我慢してしまった。

私は精神障害者で、就労移行支援事業所に通っている。ここは就職のサポートをしてくれる施設だ。そこで私は職員の人と就職に関する話をすることがある。

今日私はとある企業について、職員の人と話した。私さえよければ見学をして面接をして就職することが可能な企業であった。私はとにかく働きたかった。無職でいることが恥だと思っていたから。だからそこの企業に興味があり見学したいという旨を職員の人に話した。ただその企業は1つ私にとって大きな懸念点があった。賃金が高くないことだ。でもそれでもそのことに目をつぶって、そのことは我慢して、私はその企業に就職したいと職員に伝えた。早く就職した方が職員の人も喜ぶと思って。

そしたら職員の人はこう言った。「見学するのはいいけど、まさかここで働く気ではないよね。賃金安すぎるよ。」と。私が思っていたことを指摘されてしまった。私は何も言えなかった。ああ、また私は自分の本当の気持ちを押し殺してしまった。なんだよ、職員の人が喜ぶと思ってって。他人のために自分の気持ちを犠牲にしてどうする。そしてまた自己嫌悪してしまった。

これで何回目だろう。私はいつも自分の気持ちを押し殺す。我慢してしまう。それが周りのため、周りに喜んでもらえると思って。でも実際は違った。自分の気持ちを押し殺して、自分も幸せになったことがないし、他人も幸せにしたことがない。

私は幼い時は自由な少年だった。小学生の時は、本当に好き勝手行動していた。友達に必殺技をかましたりしていた。サッカー部ではエース番号10番を背負い活躍していた。とにかく毎日が楽しかった。

でも中学生ぐらいになってから、自分を押し殺すようになった。高校生、大学生と大きくなればなるほど、私の心は弱くなり、周りに合わせるようになった。周りが喜ぶことをしようとして空回りしていた。

思い出すのは、大学のサークルの飲み会。私は大人数の飲み会が好きではなかった。もともとコミュ力が高くなかったし、どう会話に入っていったらいいかわからなかった。でも同学年で飲み会に参加する人は少なかったし、学年を代表して自分が参加しないと先輩たちが悲しむと思って、飲み会には毎回参加した。

それでも毎回、私は会話に入っていけなかった。そしてつまらなそうにお酒を飲んでいた。そんな私に一人の先輩がこう言った。「ここにいて楽しい?」って。実際、私はつまらなかった。でも私は「先輩の話を聞くの楽しいです」って答えた。ここでも自分の気持ちを押し殺してしまった。なんで自分は自分の気持ちを押し殺して、この飲み会に参加しているのだろうと本気で思った。そして先輩に言われた「楽しい?」が私の核心を突きすぎていた。ここでも私は自分の思っていたことを人に指摘されてしまったのである。

そんなこんなで26歳の現在に至る。就労移行支援事業所の件でもわかる通り、今でもこの我慢してしまう癖は抜けられない。どうしても自分の気持ちを押し殺してしまう。

でも今日、自分はこの癖に気づいた。26年生きてようやく自分の癖であることに気づいた。自分の人生は誰かのためにあるのではない。自分のためにあるのだ。だからもっとわがままになっていいのではないかと。

実際に自分の気持ちに素直な人は多くいる。私が思うに、そのほとんどがストレスフリーで幸せそうだ。どうしたら私も自分の気持ちに素直な人になれるのだろう。本音で生きるためにはどうしたらいいのだろう。

これからは少しずつ自分の本音を言おうと思う。他人ではなく自分のための行動をしようと思う。そうやって自分の人生を取り戻せたらいいなと思う。

とりあえず、就職の件は止めようと思った。その企業に就職するのは自分の本心ではないからだ。

以上。


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