[メモ]エマオ証言(7)シモンとクレオパ

さて、ここまで主の復活から昇天までの時系列を四福音書と第一コリント人への手紙15章の調和により考察してきたが、それらは全てタイトルの通り「エマオの二人」を特定するための準備である。

エマオの二人がエルサレムに戻ったときの様子を、ルカによる福音は以下のように示している。最初に確認したように、ルカによる福音はパウロの証言に負うところが大きく、パウロはシモン・ペテロと主の兄弟ヤコブの証言に負うところが大きいと思われる。

"Καὶ ἀναστάντες αὐτῇ τῇ ὥρᾳ ὑπέστρεψαν εἰς Ἱερουσαλήμ,
καὶ εὗρον ἠθροισμένους τοὺς ἕνδεκα καὶ τοὺς σὺν αὐτοῖς λέγοντας ὅτι ὄντως ἠγέρθη ὁ κύριος καὶ ὤφθη Σίμωνι καὶ αὐτοὶ ἐξηγοῦντο τὰ ἐν τῇ ὁδῷ καὶ ὡς ἐγνώσθη αὐτοῖς ἐν τῇ κλάσει τοῦ ἄρτου" (アレクサンドリア型写本)

"Καὶ ἀναστάντες αὐτῇ τῇ ὥρᾳ ὑπέστρεψαν εἰς Ἱερουσαλήμ,
καὶ εὗρον συνηθροισμένους τοὺς ἕνδεκα καὶ τοὺς σὺν αὐτοῖς, λέγοντας ὅτι ἠγέρθη ὁ Κύριος ὄντως καὶ ὤφθη Σίμωνι. καὶ αὐτοὶ ἐξηγοῦντο τὰ ἐν τῇ ὁδῷ καὶ ὡς ἐγνώσθη αὐτοῖς ἐν τῇ κλάσει τοῦ ἄρτου." (ビザンツ型写本)

"そしてまさにその時に立って
(Aorist Active Participle - Nominative Plural Masculine)、
エルサレムに向かって[二人は]帰った
(Aorist Active Indicative 3rd plural)、
そして[二人は]見た
(Aorist Active Indicative 3rd plural)、
集められた十一人を、
そして[orすなわち]彼らと共にいる者たちを、
[すなわち]「実に主はよみがえってシモンに現れた」と言っている[者たちを]
(Present Active Participle - Accusative Plural Masculine)、
そして彼らは道においてあったことと彼らがパン裂きにおいて気づいた次第を詳説した
(Imperfect Middle Indicative 3rd Plural)。"

- ルカによる福音24:33-35

これは一般的な訳出では

・エマオの二人が帰る

・エマオの二人を除いて、そこには十使徒(イスカリオテ・ユダとディディモ・トマスを除く十二使徒)と、使徒以外の何人かがいた

・十使徒と使徒以外の何人かは「本当に主はシモンに現れた」と互いに言っていた

・それに対してエマオの二人が自分たちもイエスと会ったことを証言した

というストーリーに聞こえる。

もしそうであれば、シモンに現れたことを証言している十使徒は、クレオパともう一人の証言を聞いて、さらに証言が得られたことを喜んだだろう。

しかしマルコによる福音はこの訳出と二つの点で食い違っている。

"この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。"マルコによる福音書 16:12-14

なんと、シモンに現れたと証言しているかに見える十使徒は、エマオの二人の証言を信じなかった。

しかもマルコによる福音によればここの登場人物は十一人(「十一弟子」は弟子の語を補った訳出。)ヨハネによる福音の証言によればここに使徒トマスはいないので使徒十人+何者か一人である。

さて、ルカによる福音の文脈からすると、エマオの二人はこの十使徒への顕現に立ち会っているように読める。

つまり不自然な点は二点。

・シモンが十使徒側にいるとすれば、十使徒がエマオの証言を拒否するのは不自然である。

・十使徒とエマオの証言者二人を合わせてここの登場人物は十一人となっており、数が合わない。

この二つの矛盾点を解消するためにはどのように解釈すれば良いだろうか。

その解は、

「シモン・ペテロはエマオの二人の証言者のうちの一人である」

というものである。つまり「本当にシモン・ペテロに現れた(のか)」と十使徒(実は九使徒)が口々に言っているのを制して、ペテロとクレオパがエマオ途上の顕現について証言するのが、この場面なのである。

また「彼らと共にいたものたちをτους συν αυτοις」が、「九使徒と共にいたものたち」である場合、ここでの登場人物が増えすぎてしまい、「十一人」と述べるマルコによる福音と整合しない。ここの「彼ら」は九使徒のことではなく、クレオパとシモンのことであると解釈した方が良いのではないだろうか。従って集合した十一人と、二人と共に集合している者たちを繋ぐ「και」は同格(「集められた十一人すなわち口々に言っている彼らと共にいた者たちを見た」)あるいは時系列の順接(「十一人が集められているのを見て、共にいたものたち(九人)が口々に言っているのを見た」)を表すものと解釈するのが良いように思われる。

聖書がA συν B と言った時に、BにAが含まれない用法が多いようなので、この二つの解釈のうち後者がより尤もらしいと思われる。

ではここでこのような少しくどい言い方をしているのはどのような意味があるのだろうか。実は「集められた十一人を」という表現がここでは重要と思われる。アレクサンドリア型では「ἠθροισμένους τοὺς ἕνδεκα」であるが、私はビザンツ型の「συνἠθροισμένους τοὺς ἕνδεκα」の方がよりここでの意味を落としていないように思える。

このビザンツ型で採用されている動詞の原形「συναθροιζω」は会衆(congregation)を「召集する」際に用いられる動詞である。七十人訳ではこのように使われている。

"モーセはイスラエルの人々の(υιων ισραηλ)全会衆を(πασαν συναγωγην)集めて(συνηθροισεν)言った"出エジプト記 35:1

「会衆(希:συναγωγη, ヘ:עדה)」という集団単位について、タルムードはバビロニア・タルムードMegillah 23b(下記リンク参照)などで細かく定義している。

これによれば、会衆とはイスラエル人十人を最低人数とする集団であり、聖別に関わることに関しては会衆の要件、男子十人の出席を満たさない場では無効である。御名を聖とする宣言が儀礼に多く含まれるユダヤの集会では、大部分の儀礼が十人に満たずには執行できないことになる。(https://en.wikipedia.org/wiki/Minyan )

これはルツとマフロンの嗣業を買い戻す際にボアズが十人の長老を招いたことからも、古来からある慣習である可能性がある。

"ボアズはまた町の長老十人を招いて言った、「ここにおすわりください」。"ルツ記 4:2

つまり、クレオパとシモンは使徒たちを召集し、会衆の最低条件である十人に満ちるのを確認してから、正式な報告を始めたのではないだろうか。裁判において二人の証言が要請されることは新約でも引用される有名な律法の規定だが、この十人の陪審者も重要な要請だったのだろう。そのような会衆による「公的な場による証言」の前にある程度の情報のやり取りがあるため、二人の証言者以外の弟子たちは口々に互いに「本当にシモンに現れたのか」と言い合った、と解釈すれば、ルカとマルコの証言が調和することになる。

それで、結局1コリント15章でパウロが述べる「まずケファに現れ」は、エマオでの顕現のことを述べていたと思われる。律法学者パウロがマグダラのマリアらへの顕現を省いているのは、上述のような公的なプロセスを重視したためかもしれない。タルムードは「会衆」の成員として男子を要請しているのである。

他にエマオ途上の顕現の証言者がシモンとクレオパであるということの傍証として、オリゲネスが複数回エマオの顕現について「シモンとクレオパ」に対して起こったと述べていることがある。

オリゲネス(c.300)のルカによる福音書注解は全体が残っていないため、該当箇所についての詳しい説明がわからないため、何の解説もなくエマオの二人をシモンとクレオパと言及している部分のみが残っている。これが伝承によるのか釈義によるのかは不明であるが、初期教父による証言でもエマオの二人のうちのクレオパでない方はシモンであると証言されているのである。



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