新約リスト ムラトリ断片(c. AD 2c)

http://www.earlychristianwritings.com/text/muratorian-greek.html

http://www.earlychristianwritings.com/text/muratorian2.html

より。基本的に英訳からの重訳。

ムラトリ断片は紀元200年ころに西方(おそらくローマ)で、また原文はギリシア語で、書かれたと考えられている。現存する断片はラテン語のものが大部分である。

マタイとマルコの福音書を欠くが、文脈上明らかに欠落部分に含まれる。
ソロモンの知恵を「受け入れられている」ものとしている。
ペテロの手紙第一および第二への言及がない代わりに、ペテロの黙示録をヨハネの黙示録と並べて「受け入れられている」ものとしている。
ヨハネの手紙第一への言及ののち、ヨハネの手紙が二書「受け入れられている」としているが、ヨハネの手紙が合わせて三書なのか二書なのかの明確さに欠く。

[]内は邦訳者の注。

:::::以下訳文:::::

. . .しかし彼はそれらのうちに居合わせていたので、彼は書き留めた。

第三福音書、ルカによるもの。医者であるルカは、主の引上げののち、パウロがその道の同行者として彼を連れていたとき、調査し、彼自身の名において書いた。彼も肉においては主を見ていなかったが。それで、彼は調査することができたので、また彼はヨハネの出生から物語を語り始めたのである。

第四福音書、弟子たちのうちのヨハネによるもの。彼の同朋なる弟子たちと司教たちが促したとき、彼は「私と共に三日間断食しなさい。そして、それぞれに示されたことを、互いに語ろうではないか。」と言った。同じ夜に、使徒たちのうちのアンデレに、彼ら全員が吟味して、ヨハネが全てのことを彼自身の名において叙述するように示された。

それで、別々の福音書において違った基礎が教えられているが、それにもかかわらずそれは信徒たちの信仰に対して何の違いも生まないのである。全てのうちの全てのことは、一なる主権である御霊によって宣言されているからである。出生に関しても、受難に関しても、復活に関しても、弟子たちとの歩みに関しても、である。また、彼の二度の到来に関してもである。一度目は彼が蔑まれたとき、謙遜のうちの[到来]であった。二度目は王権と栄光のうちの[到来]である。

それゆえ、ヨハネが特定のことについて彼の書簡においても繰り返し提示する際に、彼自身についてこう言っているのはすばらしい。「我らが我らの目で見てきたもの、そして耳で聞いてきたもの、そして我らの手が触ってきたもの、これらのことを我らはあなたがたに書き送ってきた。」…というのもそれで彼は彼が目撃者であり聞いた者であっただけでなく、主についての全ての驚くべきことを整理して書いた者でもあるということを宣言しているのである。

諸々の使徒たちの行伝は、一つの巻において書かれた。ルカは、至福なるテオフィロスへ、特定のこと、つまり彼の居合わせたところで起こったことについてを、簡潔に書いた。それはペテロの死についてと、パウロのイスパニアへ向かう出立についての[扱いから]明らかである。

パウロの諸々の書簡自身は、何であって、どこから、どういうわけで彼らが遣わされたかを知りたい者たちに対して示された。まず最初に彼はコリント人へと、異端の分派に対して警告して書き送った。それからガラテヤ人へ、割礼[について送った]。しかしローマ人へは、キリストが一連の聖句でその原理となっていることを、長めに書いた。

これらについては真面目に扱わなければならない。祝福されたパウロ自身、彼に先立つヨハネの範にならって、名前だけでは七つの教会に、この順で書き送ったのだから。第一にコリントへ、第二にエフェソへ、第三にフィリピへ、第四にコロサイへ、第五にガラテヤへ、第六にテサロニケへ、第七にローマへ。

彼はコリントへとテサロニケへ、確証のためもう一度書き送った。だが明らかに、一つの教会が全世界に渡って拡散しているということがわかる。あるいはヨハネもまた、黙示録において七つの教会へ書き送っているが、それでも彼は彼ら全てに語っているのである。

彼はフィレモンに一つ、テトスに一つ、ただしテモテには二つ[の書簡を]その情と愛のために[書き送った]。彼らは公同の教会の栄誉において、教会的規律の叙品によって聖別された。

ラオディキア人への[書簡の]引用もあり、もう一つはアレクサンドリア人への[書簡]もあるが、マルキオンの異端に従って、パウロの名において偽造されたものである。また他にも多くの、公同の教会で受け入れられないものがある。というのも、胆汁は蜂蜜と混ぜ合わされることはできないのである。

確かにユダの書簡が、また上記のヨハネの二つの書簡が、公同に受け入れられている。彼[ソロモン]の栄誉において友人たちによって書かれたソロモンの知恵も、そうである。我らは、ヨハネのものと、ペテロのものだけを黙示録は受け入れている。ただ、我らのうちのあるものはそれが教会で読まれることを望まないが。

ヘルマスが牧者を著したのは私たちの時代のごく最近、ローマ市において、彼の兄弟ピウス、司教がローマ市の[司教]座を占めていたころである。それゆえ、それは確かに読まれるべきであるが、教会において公的に人々に読まれることはできない。数が完結している諸々の預言者[の書]のうちでも、その時代の終えた諸々の使徒[の書]のうちでも[含まれるべきでない]。

我らはアルシノエス[Arsinoes]、ウァレンティノス[Valentinus]、ミティアデス[Mitiades]の[書]の一切を受け入れない。また、マルキオンのため、またバシレイデスとアジアのカタフリギア派と共に、新しい詩編を著した者たちも[受け入れない]。

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