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#49「私が撮らない写真」

こんばんは、macotoです。今回は久々に写真のことについてお話しできればと思います。

今回のテーマは「私が撮らない写真」です。「こういう写真を撮ってみたい!」などはよくあるかと思いますが、今回お話しするのはその逆です。

実は2年前にこの記事を書こうと思ったのですが、うまく自分の考えがまとめられず、このタイミングとなりました。趣味でカメラを持ち始めて8年目となった今、改めて書いてみようと思います。ぜひ最後までお読みいただけると幸いです。

なぜ「撮らない写真」なのか

普通は「撮りたい写真」を考えることが多いかと思いますが、敢えて「撮らない写真」を考える理由。それは実に単純で、撮りたい写真が何なのかを明確にするためです。撮らない写真の補集合は必然的に撮りたい写真になるよね、って思考です。

「撮りたい写真」という集合には、把握するにはあまりにも要素が多すぎて、正直全部を撮り切ることは難しい。そこで「撮らない写真」を明確にしたらどうか、と思い立ったわけです。

「撮らない写真」を決めることのメリット

「撮らない写真」を決めてからというもの、撮る写真が少しずつ厳選されていくようになりました。ただなんとなく撮って、結局編集もせずに放置されるような写真がなくなりました。自分にとって本当に撮りたかった写真たちだけが手元に残る。

また、写真に対するモチベーションがグンと上がります。正直これが一番重要。撮りたいと強く思っていない写真を撮れば撮るほど、「なんでこんな写真撮ったんだろう」「大した写真ないなあ」という風に、モチベーションが下がってしまいます。

写真に対するモチベーションを上げるためにも、「撮らない写真」を定めることは大切なのかもしれません。

では私は、何を「撮らない」のか

では今の私が「撮らない写真」とは何なのか。まず明確に線引きがあるものとしては、撮影禁止の場所やモノ。侵入禁止の場所に入っての撮影なども含まれます。当たり前ですね。しかし残念なことにSNSを見ていると、侵入禁止と思われる場所で撮影した写真などがしばしば見受けられます。私も間違ってもそのような撮影はしないよう、常に心掛けていきたいところです。

次の「撮らない写真」は、映えを意識した写真です。数年前までは「インスタ映え」などと言われていた写真ですね。ここで大事なのは、映えることだけを意識した写真は撮らない、ということです。

映えていて、かつ自分の心が動かされたときは迷いなく撮ります。要は、自分の心が動いたときに撮るということです。ここで言う「心が動く」とは、「感情に変化が起こる」ことを指します。映えた景色を見て「すごい綺麗〜」ぐらいでは撮りません。

綺麗な景色を見て私は何を感じたのか。どんな想像をしたのか。どんな感情をもったのか。これらのことが考えられるときに、私はシャッターを切ります。

私の「撮りたい写真」とは

「撮りたい写真」を「撮らない写真」の補集合だと定義すると、私の「撮りたい写真」とは、「感情に変化が起こる写真」ということになります。

ポジティブな変化でも、ネガティブな変化でも。

テンションが下がって落ち込んでいるときこそ、カメラを片手に出かけたくなったりもします。落ち込んでいるときにファインダーを通して見た世界は、普段見る世界とは全く異なります。

同じ被写体を見たとしても、その時の自分がポジティブなのかネガティブなのかで、感情の変化の仕方は変わる。

まあ難しいことは置いておいて、私は写真家でもなんでもありませんし、このぐらいにしておこうかなと思います。物凄く端的に言うと、「いいと思ったら撮る」だけ。逆に言うと、「いいと思わなかったら撮らない」だけ。

あんまり深くは考えていません。撮りたい写真について考えれば考えるほど訳がわからなくなるから。ただなんとなくカメラ片手に散歩をして、感情に変化が起こったら撮る。構図とか難しいことは無視。それが私の性格には合ってる気がしています。

ということで、「私が撮らない写真」でした。拙い文章ですが、ここまでお読みいただきありがとうございます。またそのうち出現します。ではまた。

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