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私を縛る価値観

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
私の生きづらさを生み出している価値観
について書いていこうと思います。

何度も書いているように
なぜ学校に行けなくなったのかは
自分でもわかりません。

ただ
不登校で悩んでいる方々にとって
一番知りたいのはその部分だと思うし
自分の不登校経験を語るうえでも
「きっかけ」のようなもの
があったほうがやりやすいです。

なので便宜上

「当時は、頭がいいことしか自分に価値がないと思っていて、その思い込みが自分を追い詰めた」

と語ります。

この
「頭がよくないと価値がない」
という価値観は
中学以来ずっと私を苦しめている価値観です。

なぜそのような価値観をもつようになったのかはわかりません。

親や学校教育のせいにするのは簡単ですが
それだけが要因ではないと思っています。

中学校に入ってから

私が学校という場所で存在価値を認められているのは頭がいいからだ
友達も私が頭がいいから仲良くしてくれている

と思っていました。

中学という場所で「私」を保つために
「頭がいい自分」が必要だったのだろうと思います。

そういう価値観がある一方
テストの点数に関しては

他者と自分を比べるんじゃなくて
過去の自分と勝負するんだ

という考えももっていました。

これは多分に親の影響を受けた考えでしたが
他人と自分を比べるとつらくなるだけだ
ということをなんとなく感じてもいたので
腑に落ちてはいないけれど
そう思い込もうとしていたという感じでした。

とにかく
当時は「頭がいい」ことが自分の価値のすべてだった。

そして
いわずもがな
「頭がよくないと価値がない」
という価値観の刃は
自分だけでなく他者へも向かいます。

他者を見下していないと自分を保てない

表には出さないけれど
心の中では勉強できない人のことを嘲笑っていました。

でも
そういう汚い自分が嫌だと思う自分もいて。

そんなこと思っちゃいけない

そう思う自分もいるけど
湧きあがる汚い感情があるのも事実。

当時はその二律背反する思いに
まったく折り合いがつけられなかった。

そんなぐちゃぐちゃな状態で
進学校へ入学しました。

進学校=自分より頭がいい人しかいない場所

という強い思い込みを持っていた当時
高校進学は
今のままの自分では学校での存在価値がなくなる
ということと同義でした。

高校に入学することが
自分の中にくすぶっていた
「頭がいいことしか自分には価値がない」
という価値観を再燃させたのかもしれません。

そして潰れた。

通信制高校に編入してからも
その価値観は変わらず…
というかその強化に拍車がかかりました。

というのも
通信制高校に来る人というのは
学校に行けなくて学びが遅れている人
素行が悪くて退学した人
などが多く
周りが自分よりできない人(と当時の私は思っていた)ばかりの環境にいると
どうしても

自分はこいつらとは違う

と、その人たちを見下す気持ちが出てきてしまうのです。

いま考えると
そうやって周りを見下すことで
道を外れた者(と当時は思っていた)の中でもまだ自分は「普通」に近い側だと思いたかったのだろうと思います。

そんなこんなで高校を卒業して大学に入りました。

大学生になっても
相変わらず
「頭がいい」ことが自分の価値の中心でした。

相変わらず
「頭のよさ」で他者を判断するし…

この価値観
和らいではいるものの
いまでも私の中に存在しています。

まあ、たぶん
一生付き合い続けることになるでしょう。

なにか成長があったとすれば
それは
そういう価値観を持っている自分
を受容れられるようになったことです。

それだけでも
無駄に自己否定しなくてすむようになったから
それでいっかなと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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