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縄文時代以前の大井川流域

ヌタブラ遺跡 「川根本町内にも旧石器時代人が生きた痕跡を見ることができます。それは、当時の人々が使った道具・「石器」が出ているからです。石器が見つかっている遺跡は、北から高千山(たかちやま)遺跡(千頭)、ヌタブラ遺跡(東藤川)、照尾(てらお)遺跡(元藤川)、上長尾遺跡(上長尾)、天王原遺跡(上長尾)の5か所です。」

「縄文時代の遺物が出る場所は標高420m付近にあり、縄文時代中期が中心とみられていました。本遺跡はそこより10mほど上がったところに位置します。」池田純「大井川流域の文化Ⅰ」ボイジャー・プレス 2021

1万年以上前の寒冷期でもあった時期にも大井川流域には人々の生活の痕跡があります。牧ノ原台地と同時期に造られた段丘面のようです。縄文時代より一段高い位置のように思われます。

井川割田原(ワンダハラ)遺跡 現在、井川ダムの湖底に沈んでいる割田原(ワンダハラ)遺跡からの出土品は、中部山岳文化圏ともいえる大型土器が出土しています。大井川流域は源流部から田代川/井川/大井川と川名が残されています。井川と大井川の間には接阻峡があります。接阻峡以北は中部山岳文化圏だった時期があったのです。

上長尾(カミナガオ)遺跡 上長尾遺跡は旧石器時代から縄文時代の終末期までの長い期間の先住民の生活の痕跡が確認されてきました。特筆されるのは亀ヶ岡様式の土偶が出土されていることです。現在の車道距離で、ほぼ千キロの距離があります。先住民の時代を一万年くらい想定しているわけですから、その間に様々な交流が実現されてきました。この遺跡から出土した黒曜石は和田峠(長野)だったり、神津島のものも含まれているようです。大井川に注ぐ支流・川根長尾川側に半島状に伸びる、岩盤に支えられた段丘です。現在川根本町立小学校があり、黄昏の似合う流域を代表する丘です。

以上、先住民の生活の痕跡を辿ってみました。私たちの生活がこの後も大井川との共生が保障されていくことが重要に思えます。持続可能な大井川との暮らしを私たち流域住民は願っています。

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