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断想:声と文字2


技術さえ伴えば漫画を描きたいと思っているけど、なかなか難しくって手が伸びません。技術さえ伴えば作曲もしたいとかそういうのもありますが今回は置いといて。

私は漫画とかアニメ好きそうって言われますが、そこは断じて違うと笑顔で返します。ヲタク気質はあるけどそれは別方面に向いてるし、漫画にはものすごい影響を受けて育ちましたけど、特定のアレとアレとアレ…だけで、アニメに至ってはまぁまったく。ブックオフで立ち読みするのはもっぱらカバチタレかウシジマ君かグラゼニだし(この3つは↑のアレとアレとアレじゃないですよ)。

この断想のお題は前回、虹倉きりさんから頂戴しまして、半ば整理もつかぬまま論点がずれっぱなしに綴り、途切れたやつです。よって今回もだらだら続けます。

本題はここから。

こないだ、ヲタとかではない一般的な五十路の方とお話をしていたら、「漫画ってもう若い頃と違って読むのが大変で…」とおっしゃっていたんですね。絵を追って、文字を読んで、というのが追い付かないと。

えぇそういうものなのかなぁ漫画になれてないだけじゃないの?って思ったんですけど、そこで改めて視点を変えてみたんです。

当たり前のように漫画を読めてるって実はすごくないか?

実際の漫画とは一切関係ありません


まず空間に浮かんでる文字はなんなんだよって話です。それから、もちろん吹き出しが頭にささってたり被ってたりして、そのキャラが喋ってるっていうのを認識しやすいように描かれているんだけど、誰からも教わらずに私たちはそのルールに沿ってストーリーを把握し、感情を揺さぶられたり揺さぶられなかったりするわけですよね。

登場人物からしたら吹き出し邪魔だろうなー。テレビのテロップも。あれ発泡スチロールで出来てると思うけど、作るのも結構大変そう。

またふざけたこと言いやがってとお思いでしょうか?いえそうではないんです。これこそ、メタ表現の初歩じゃないでしょうか?

ほんとは目に見えちゃいけないはずのセリフや音を、主役であろう絵にいちいちくっつけているんですから。そして、その声や音は、読者のほうに委ねていると(これがいちいち物議を醸すことになる)。

実写やアニメは、実際に人が喋ります。絵画には人や風景しか描かれていません。ところが漫画はどうでしょう?ストーリー進行に必要な道具(つまり吹き出しや擬音・擬態の書き文字)が作品に組み込まれて、ときにそれ自体が作品の優劣を決めたりするんです。

わかりやすく読みやすい、そしておもしろい漫画っていうのはそれらの使い方がとても上手なんだろうなって思います。私がいちばん影響を受けた漫画のひとつ『ドラえもん』、その作者のF氏は擬音・擬態の神様です。「ウロンウロン」なんて擬音思いつきます?

そろそろまとめに入りましょう。

1.漫画はまずメタ的でトリッキーな表現方法
2.みんなそれに慣れ過ぎ
3.だから脳内変換も自由にされて、実写化で声優が叩かれる

きょうはこんなところでしょうか。みなさんごきげんよう。


虹倉さん、またまたありがとうございました。






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