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保健室の先生の思い出話。

まだ見ぬ世界で、そっと自分探しをしてみようと思って書き始めたnote。

noteを通してこれからの人生を思い描こうと考えていたところでしたが、「長いこと保健室の先生をしていた」という部分に対してコメントをいただき、なんだか嬉しくなってしまったので、今回は養護教諭時代の思い出を振り返ってみたいと思います。

私は幼い頃から看護師を目指しており、高校卒業後は看護専門学校へ進学しました。

高校時代は勉強が苦手で成績も悪く、先生方からの評価も低くて、自信のない子でした。だから「夢があります」なんて大きな声で言う事もできず、隠れるような思いで受験し進学しました。(ほとんどの人がいわゆるいい大学へ進む進学校だったのです。)

親元を離れ、知り合いが誰もいない看護学校に行ってから、私は人生初のがむしゃら勉強をしました。夢を叶えたい気持ち半分、もう半分は、なんだか悔しさ?意地?だったような…笑。

看護系の学校は、確かにちょっと忙しい。
勉強に加えて実習が入るとますます大変になり、国家試験前になるとそれはそれは厳しい毎日となります。

でも、これが私の生きる道!と思うと、人間って変わるものですねー。恥ずかしいような成績だった高校時代がウソのように、看護学校は1位で卒業しました笑。

(この経験は、のちのち勤めた中学校で、勉強嫌いなヤンチャさんたちと関わる際、すごく役に立つことになります。)

国家試験にも無事合格し、いよいよ看護師になったかというと、違うのです。

看護学校時代に「子ども」について学ぶ中で、私はハッと気づいたことがありました。

子どもって、一見何ごともないように見えても、成長過程において数えきれないほどの悩みやつまずき・困難を抱え、それを表現できないまま気づかれないままであることが、いかにたくさんあるか…と。

ならば保健室で、たくさんの子どもたちをよく見て、聞いて、関わりたいと思ったのです。

そこで養護教諭養成課程を受験して免許をとり、養護教諭人生はスタートしました。

田舎の小さな学校、街の中心部にある大きな学校、小学校、中学校、平和な学年、荒れ気味の学年。何十年も勤めていると、色んなことがありました。

保健室には養護教諭がひとり。健診検査や応急処置をしながら、時を選ばず来室するたくさんの子どもたちに対応します。

お腹が痛い・頭が痛い・気持ち悪い…いわゆる不定愁訴。何かに困ったり悩んだりした時、まだ上手く言語化できない子どもたちは、とりあえず体で表現します。

だから保健室は大事なのです。必要なのです。

子どもが保健室のドアを開けて入った時の表情や声色、ソファーに座った様子から、もうアセスメントは始まります。

たくさんの用事をしながら、たくさんのケースに対応しながら、それでも一人一人を適切に見極めて「どうしたらいいか」考える必要があります。

小学生程度の相談ごとなら、対応・導き・解決なんて簡単なのでは?
…とんでもありません。

一人の人間が抱える環境、生育歴、問題、悩み、辛さ。それらは小さな子どもであっても、時に深く、重くのしかかって、動けなくなることもあるものです。
そして、全力で頑張ったり考えたりしても、なかなか答えに辿り着けなかったりするものです。

そんな時、一緒にそばにいる。
そんな保健室の先生でありたい、と願っていました。

長くなってしまいました。
色んな出会いを思い出します。
守秘義務を守りながら、またお伝えできたらと思います。





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