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ひとつのことが終わった後に、残るもの

長く勤めた学校を退職して2か月が経とうとしています。
家・家族を中心とした生活にも慣れ、これが私の新しい世界なんだとしみじみする毎日です。

自分の暮らしも気持ちも、学校現場から確実に離れつつある…と思っていたところ、ひとつのメールが届きました。

「元気?どうしてる?ごはん食べましょう。」

3月までご一緒していた上司お二人からです。

「えっ?本当に?どうして?私?えーっ!」

びっくりしました。だって、仲良くしていた同僚とかではなく、上司なのですから。現在多忙を極めているであろう新学期進行中、すでに退職した私のような者を思い浮かべたりするでしょうか…。

ありがたくて嬉しくて。
でもやっぱり不思議すぎる。どうしてだろうかと、私なりに理由を考えてみました。

思い当たるとすれば…

人って、楽しい時間を共にした関係よりも、困難な状況を共有したつながりの方が、深く濃く残っていくものですよね。

この数年、学校現場においてもコロナ対応は大変な苦労心労の連続でした。
子どもの学びを止めることがあってはならないので、教育の質を低下させることはできません。
同時に学校生活全体において感染症対策を徹底することは、簡単ではありませんでした。
国としての方針や地域の感染状況などにより、その都度その都度、臨機応変な対応が求められました。
管理職は日々判断し決定し、それを受けて私たち養護教諭は子どもたち、保護者、全職員が理解・納得して動けるよう管理面・指導面ひとつひとつ工夫を重ねました。
具体的な対策については、時に反対意見もありました。時間外勤務や休日返上も多々ありました。皆が疲弊する中、心情面を整える必要もありました。

コロナは、多くの人に、現場に、様々な影響を与えました。学校も例外ではありません。

でも…

振り返ってみると、大変なことだらけだった中に、かけがえのない経験や気づき・学びもあった気がします。

すべての子どもを守りきる、学校全体を守り抜く覚悟を、養護教諭として管理職と共に持つことができたような、そんな数年でした。

保健室の私の立場の大変さと、あのころ管理職が抱えていた重責は比較にもなりませんが、「苦しい時を共に過ごした」という点が、今なおお互いを繋いでいるのかもしれません。

生きていれば、いい時も、そうでない時もあります。
苦しい時間が過ぎたあとに残る宝物…あるものですね。

ドキドキするけど、もと上司とごはん食べに行くのが、楽しみです。


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