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外国語のように捉える【星降る夜に第2話】

みなさん、こんにちは。
布団から出られないそんな季節に、1つドラマのお話を。
今回お話したいのは、毎週火曜9時から放送中のテレビ朝日製作のドラマ「星降る夜に」の第2話についてです。
2月2日現在は第3話までが放送されています。

このドラマ、「恋愛ドラマの名手」とも称される、大石静の脚本作品で、吉高由里子×北村匠海の2人が演じる産婦人科医と遺品整理士の恋を描いた作品です。
大石静×吉高由里子の組み合わせは、来年の大河ドラマ「光る君へ」も注目ですね👀

そんな背景もあり、とても注目していた今作なのですが、正直第1話の時点では2人の出会いのシーン等に入り込めなかった部分もあり、私には合わない作品かも…なんて思っていました。ところが第2話を見てガラリと意見が変わりました。
というのも、このドラマ、私が別のドラマで感じたモヤモヤが綺麗に回収されていたんです。

「silent」で感じたモヤモヤ

皆さん、ドラマ「silent」、見ていましたか?
物凄く話題になりましたよね。社会現象、とも言われているらしく。
私も全話視聴させて頂いたのですが、ちょっとモヤモヤしている部分がありまして。
「星降る夜に」の話をするにあたって少しだけ、そんな話をさせてください。(silentが大好きな方はご注意を)

まず、この作品についての説明を。
2022年10月クールで放送されたフジテレビ製作「silent」。
脚本は新人脚本家、生方美久
川口春奈演じる青羽紬はある日、高校時代に付き合っていた青年、目黒蓮演じる佐倉想を見かける。紡は8年ぶりに再会した彼に声をかけるも、彼にその声は届かず…
というストーリーです。
紬と中途失聴者である想との恋模様が描かれます。

もちろん素敵なセリフや場面はたくさんあったのですが、私が特にモヤモヤしたのが最終話。
「可哀想」という言葉についてです。

最終話では「耳が聴こえないことを可哀想としか見れないことが可哀想」「障害を可哀想と思ってないのが良いよね」、そんな話が登場します。
その言葉自体に疑問を感じているわけではないのです。むしろ私も他者を「可哀想扱い」で傷つけるようなことはしたくないよな、と思います。

では、「可哀想扱いしない」とはどういうことなのでしょう?

可哀想扱いしない、ということ

私は1つの個性のように捉えることではないかな、と思います。
もちろん、障害が言葉通り障害となることもたくさんあるでしょうし、「健常者/障害者」の線引きを無くすことは難しいのかもしれません。配慮しなければならないこともたくさんあるでしょう。
ですがその配慮は無遠慮な「可哀想扱い」ではなく「思いやり」であるべきだと思うのです。

人って本当にそれぞれ違うじゃないですか。
自分のことなんて自分にしかわかりっこないんです。

だからその違いを考えながら「思いやる」ことって、相手が誰であろうと必要なのではないでしょうか。

そんな風に、障害に限らず、誰かの世間的に「可哀想」と言われてしまうようなところを、個性のように捉えること、そして当たり前に「思いやる」こと、それが「可哀想扱いしない」ということではないかな、と思うのです。

ところで最終話目前、Twitterで脚本家の方の発言が炎上していたのをご存知の方もいるでしょう。

海外で配信とかされても、『すごいんだ、おめでとう』って思うだけで、すごい嬉しいとかぶっちゃけない。日本人に観てほしい。日本人っていうか、日本語がわかる人に観てほしい。
https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/sum_Jisin_2161795/

私も日本語話者として日本語は大好きです。とても美しい言語だと思います。
だけどやっぱりこの発言にはモヤモヤしてしまう部分があるのです。(もちろんこの発言が全てだとは思いませんが。その人のことはその人にしか分からないし。)

「可哀想扱いしない」ということは「手話」を外国語のように捉えることではないでしょうか。
「日本語の代替物」ではなく。
もし、この作品が「日本語がわかる人に見てほしい」と作られたのなら、外国語の立ち位置はどこなの?手話の立ち位置はどこなの?
と少しモヤモヤしてしまったのです。

個性のように捉えていたとしても、その先の「思いやり」はどこにあるのだろう?と。

外国に来たみたいな気持ちになった

やっと本題。「星降る夜に」第2話についてです。

このドラマについても軽く説明しましょう。
吉高由里子演じる産婦人科医、雪宮鈴と北村匠海演じる遺品整理士、柊一星。10歳差の2人が星降る夜に出会い、恋に落ちていく、というストーリーです。
そしてこの第2話で大きなテーマとなったのが「可哀想」という言葉でした。(ネタバレ注意)

第2話では、母親に望まれずして産まれてきた赤ちゃんが登場します。
この子について、一星をはじめ、多くの人が「可哀想」と言います。
ところが、鈴は違います。

「親がいなければ必ず可哀想なの?」

この言葉に一星は両親の葬儀を思い出します。そして、鈴に問いかけます。

「俺も、かわいそうじゃない?」「普通と違うから」

これに対して鈴は

「たしかに、強引だし、趣味多すぎるし、AVについて熱く語りすぎるし。変わってると思うけど。耳が聴こえないことや両親がなくなってることを言ってるの?私から見た一星は、自由で、自信満々で、ポラリスのエースで、頼んでもない遺品届けてくれるくらいおせっかいで。羨ましいくらい魅力的な人生だと思うけど。可哀想なの?

と返すのです。

貴方の「普通と違う」は個性の1つに過ぎないのだと。貴方自身はこんなにも魅力的なのだ、と言い切るのです。

また、時系列は遡りますが、2人と千葉雄大演じる一星の同僚、佐藤春が居酒屋で会話をする場面があります。

居酒屋から出た後、鈴は一星に対して、

「さっき店で2人が手話で話してるの見てたら、外国に来たみたいな気持ちになった。私だけ言葉を知らない国に来たみたいな。

と声をかけるのです。

貴方の言語は、マイノリティのための言語でも、代替物としての言語でもないよ、と。

些細な場面ですが、一貫して「世間的には可哀想に見える面も、貴方の個性のたった1つに過ぎないんだよ」と、メッセージを伝えてくれているような気がするのです。

おわりに

今回はドラマ「silent」と「星降る夜に」のお話をさせていただきました。
この2作品には、ともに聴覚障害を持つ青年との恋愛が描かれていますが、作品のテイストは大きく異なります。聴覚障害というものへの重点の置き方も全く違うと思います。
今回心にわだかまっていたものが解れた気がして、この記事を書きましたが、どちらにもそれぞれの価値や楽しみ方があると思います。

多様性が言われる今の時代、求められているのは、「自分とは違う貴方」に対する「思いやり」という存外シンプルなものかもしれません。

星降る夜に、気になった方は是非。

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