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わたしと音楽

 中学生のころから、私はロックが好きだった。

 まわりがアイドルグループに熱をあげていた時期に、私は草野マサムネに夢中だった。

 近所のおばさんがスピッツのファンだったこともあったかもしれない。

 私が好きなのを知ってライブに誘ってくださり、お腹にまで響くあの音や、”憧れの人と同じ空気を吸っている”感覚に心から震えた。目の前に確かにいる口下手なマサムネと、変わらず歌詞に出てくる不思議で魅力的な少女。私はずっとその少女になりたかった。

 中学校の生徒手帳は彼の切り抜きでいっぱいになったし、アコギも買って、曲名をその名前につけたりもした。ちょっと気持ち悪いくらいのめりこんでいた。


 高校に入るとずっと憧れていた、当時のいわゆるギャルの格好にハマっていた。ものすごいルーズソックスに短いスカート、長いラルフのベストに大きなリボン。くたくたのちょっと大きな肩掛けカバンを背中に背負い、金に近い茶髪に、ちょっと悪い言葉遣いでローファーのかかとを踏んだりしていた。そんな時代。

 でも心まで染まれない私はその格好で3年間を通して皆勤賞だったし、やっぱりロックが大好きだったから、結局ギャルではなく、音楽好きの友人とつるむようになって、ユニットも組んだ。文化祭の時には有志の出し物に隠れ、裏でずっとギターを弾き語っていた。よく晴れた日で、夢中になってゆずを友達と歌っていた時に先生に見つかったのを覚えている。

 相変わらずスピッツは好きだったが、高校生の時にピロウズやAIRなど幅広いアーティストを知りはじめ、歌詞の深さや音の重なりに感動したし、友人とのCDの貸し借りはもう毎日のことだった。


 大学では一気に世界が広がった。

 やはりロックを中心に、ライブにも積極的に行くようになった。テニスか音楽か、という私の生活は、いま思えば相当に極端だったが、きっと私史上一番輝いていただろう。毎日サークルで入り浸っていたテニスコートでは、ある日キンモクセイが「七色の風」のPV撮影に来ていた。私一人で感動していた時にようやく、周りとの温度差を感じたものだった。

 社会人になってお金がもっと使えるようになると、開き直って狂ったようにライブやフェスに行き始めた。2ヶ月に1度は何かのライブに行っていたし、ツアーの最初と最後に行くことも、夏や年末のフェスの複数日参加も当たり前だった。お金は飛ぶし、謎のグッズも増えるけれど、本当にそれが好きだった。中にはモッシュやダイブで誰かを傷つける人もたくさんいた。でもその場に行けば、知らないほとんど全ての人と同じ音楽を聴いて、同じ方をむいて無心で笑顔になれる、その無条件の明るさにすがっていた。ある種宗教のようなものかもしれない。


 新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、ぱたりとその楽しみがなくなってしまった。仕方のないこととはいえ、いくらなんでも急に奪って行かなくってもいいじゃないか。こんなことならもっと行っておけばよかった。とさすがに少し、心は騒がしくなった。

 お金が浮いたとか、時間ができたとか、そういうことに置き換えられるものでもなかった。大きな、目指していた楽しみが忽然と姿を消してしまったのだから。けれど心のざわつきは思ったより早く収束し、意外なほど漠然と「暇だなあ」と思うくらいまで穏やかに流れた。


 実は音楽は私の生活にきちんとおさまっていた、ということに、ライブから離れて改めて気がついたのだ。

 天気や気温に合わせたり、その日の気分だけではなく服装や、予定の内容、気合をいれたい時や、気持ちを落ち着かせたいとき。丁寧に掃除したい時と、勢いをつけて台所に立ちたい時。メロディーと歌詞が自然と頭に流れ、自分にとってちょうどいい歌がいつでも選ばれ、それは再生するだけで自分を後押ししてくれていた。

 それらが重なって美しく調和する時には、私はよく涙も流した。泣きたい時、楽しみたい時、いつでも助けられていた。自分で選んでいたとはいえ、そんな自分の体の反応にはっと気付かされることもしばしばだった。あぁ、私は泣きたかったんだな、と。自分で気付けなかった無意識の部分も、支えてくれていたのだ。全然寂しくなかった。もちろんその場でみんなで楽しめないことは悲しくもあるけれど、音楽は私のそばにちゃんとついているし、みんなにもきっとそうだろう。

 アーティスト達も新しい取り組みを出し始めていて、自粛中はSNSを通じたオールナイトイベントも、慣れない設定をしながら視聴したりしていた。家の中がライブハウスになるような感じは、なんだかとてもくすぐったくてよかった。

 気付かないうちに、私がライブに拘っていたらしい。音楽はいつでも私のそばにあったし、今も脳内の選曲が絶妙だ。まだまだこのスタイルは続くだろうけれど、時代に即したちょうどよさというものがあるということ、ただそれだけだ。中身はなにもかわっていない。

 楽しめること、そのものにまずは感謝しなければ。もっと年齢を重ねても、私はきっとこんな風なのだろう。



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