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今あらためて「働き方」を考える。

二人の娘も小学生になり、私は今、自分の働き方を考えているところです。

私にはやりたいことがいくつかありますが、その中の一つをどんな形にするか、ずっと悩んでいました。
自分の理想の働き方を考えていたときに、ふと、11年前の教員を辞めたときの気持ちを思い出しました。
それは「自分も 家族も 大事にできる生き方をしたい」ということ。


私は、長女を妊娠する前は、関東で小学校の教員をしていました。
学校の先生になるのは、小さい頃からの夢でした。
小5のときに「学校の先生になる」と決めてからは、それ以外の職業を考えることはなく、学校の先生になるには大学に行く必要があって、そのためにはこの高校に行くのが近道で、そのためには今はこれくらい勉強しておいた方がよさそうだ!みたいな感じで、過ごしていました。

そして、念願の先生になって5年間働きました。
長年の夢だった教師を、どうしてやめたのか。

それは、「流産」という経験をしたからです。

妊娠5ヶ月に入った日に、勤務先で全破水してしまいました。
夜の8時、学校の階段の踊り場で自分の体に違和感を感じたあの瞬間を今でも覚えています。
当初はまさか破水したとは思わず、でも何かおかしいと思い夜中でしたが病院に行ってそのまま入院。
羊水がほとんどなくなっていて、このままだと赤ちゃんも母体も感染症のおそれがあるので、妊娠継続が難しいと言われました。


この私の経験は、それまで毎日必死に働いていた意味を考え直すきっかけになりました。

私は何のために働いているのか。
赤ちゃんの命を失ってまで、家族である夫にも悲しい思いをさせてまで、働く意味は一体なんなんだろうか。

もちろん働き詰めだったことが、流産の直接の理由ではないかもしれません。
それでも、私は自分を責め、そして働き方、生き方を見つめ直して、
一度教員を辞めることにしました。

あれからもう11年。
やはり今でも思うことは同じで、自分も家族も大事にできる生き方、働き方をしたいということです。

私はついつい人のため、社会のために、という思いが先行してしまい、自己犠牲しがちです。
人のお役に立てることは私の「幸せ」に直結することですが、それは自分という資本があるからこそ成り立つもの。
「自分も家族も大切にしたい」というその気持ちを無視して、やりたいことを実現させることはやはり難しいなということに気がつきました。

この気づきは、今の私には結構大きい。なので、久しぶりにnoteに書いてみました。
この気持ちを大切にしながら、自分のやっていきたいこと、働き方を考えていきたいと思います。









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