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ルイサダ コンサート 5/3 公演番号145 会場:グラツィオーソ

ルイサダがラ・フォル・ジュルネTokyo2024に初登場!

というニュースを見た時には、まさかその二つのコンサートの会場が153席のグラツィオーソと221席のカンタービレだとは思いもよりませんでした。

もちろんチケット争奪戦は凄まじくSNSでの抽選に外れた方の嘆きばかりが聞こえてきます。

果たして会場に行ってみると大きめの会議室にピアノと椅子が並んでいるだけで心もとない。
この会場で滅多に経験できないもの凄い事が起きることにこの時は気づいていませんでした。 



時間となってルイサダ先生が登場!…と思ったらステージの照明のスイッチを一つずつオンにしていきます。
それ自体がパフォーマンスのようで会場内がちょっと和んだ雰囲気に。

その流れから自然に演奏に入ります。
この日の演奏は曲間がないかのように短く次々とプログラムが進んでいき。お辞儀は数回といったところ。
でもそれが全く嫌ではなくてむしろ好ましい。

そもそもコンサートに来てピアノの演奏を聴いているというよりも、ルイサダがピアノで描き出す世界を白日夢のように皆で見ている感じ。
時には音楽が身体の中に入ってきてその世界に自分も一緒に入っているような、音楽というものを超越した経験。

時間の感覚もあまりなくてあっという間に終わってしまったとしか思えないけれど、すごく遠くに旅をしていたような感覚もあり、現実ではない世界に心が飛んでいった時にはこういう感じなのかもしれないという感触もあります。

ほとんどの人が音楽でこんなことができるとは知らない、そんなことができるのがジャン=マルク・ルイサダというピアニストなのではないか?

新しい伝説の始まりに立ち会ったような興奮が私の中で続いています。


プログラムは発表されていたものからの変更がありました。
J.S.バッハからドビュッシーまで、そしてアンコールも3曲と盛り沢山。
どの瞬間も生命感のある音楽に満たされた幸せな時間でした。

《プログラム》============================
J.S.バッハ:リュート組曲 ハ短調 BWV997 から サラバンド
モーツァルト : ピアノソナタ 第 11 番 イ 長 調 K. 331 「トル コ行進曲付き」
ショパン:マズルカ 嬰へ短調
op. 6- 1 マズルカ 変口長調 op. 7- 1
マズルカ へ短調 op.7-3 マズルカ変ロ長調 op.17-1 マズルカ イ短調 op.17-4 マズルカ嬰ハ短調 op.30-4
マズルカ ハ長調op.56-2 バルトーク:2つのルーマニア舞曲 op.8a から
ドビュッシー :映像第 2 集

アンコール
ショパン:華麗なる大円舞曲 Op.18
ブラームス:間奏曲 Op.118-2
モーツァルト:バレエ「レ・プティ・リアン」  
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これだけでは何が何だかさっぱり分からないと思うので、ここからは普通のリポートを…

プログラムは当初発表されていたのと少し変わって、最初にバッハの皿バンドが加わり、バルトークとドビュッシーが入れ替わり以下のような内容になっていました。
バロック・古典・ロマン派・近代現代と音楽史を俯瞰する凄いプログラムです。

始まるのを待つ間、会場の狭さと音響に何の寄与もしなそうな床や壁や天井を見て若干の不安があったのですが、演奏が始まったら全くそんなことは問題にならず、豊かな響きが広がります。

それは私が今まで聴いたどのバッハの音楽よりも生命感があってベルベットのように高貴で心地よく一つ一つのフレーズの変化に富んだ鮮やかさに魅了されているうちに終わってしまいました。

2曲目のモーツァルトはとてもとても有名な曲ですが、すべてのフレーズがその瞬間に生まれたような瑞々しさで楽想から楽想への繋がりも鮮やかで、初めてこの曲の魅力に触れたかと思うような楽しさでした。

そしてショパンのマズルカ!
バスが鳴る度にその音が心臓を鷲掴みにして音楽の中にひきずりこみ、息が止まりそうな緊張感と高揚感、そしてリラックス感が交互に訪れて翻弄されているうちに終わる、そんな“ザ・ルイサダ“なショパン。
しかも狭い会場に密度の濃い響きが渦巻き、とても密度の濃い音楽を聴いた時の満足感に満たされました。

バルトークは初めて聴くのでとても楽しみにしていました。
期待通りの洗練された音と生命感のあるリズムで奏でられるルーマニア舞曲は素敵で、この曲が大好きになりました。

最後は我が偏愛するドビュッシー!
私が10代の頃から好きだったドビュッシーを大人になって再発見させてくれたのは2000年のサントリーホールでのルイサダ先生のリサイタルの“金色の魚“でした。本当に魚が泳ぎ、跳ね、水飛沫を飛ばしているような演奏は、その後この曲の楽譜を開くだけで頭の中に蘇ってくるほどの強烈な印象を残し、それ以来、もっとドビュッシーを聴かせて欲しいと望み続けています。
そういうわけですから、今回のこのプログラムにドビュッシーが入っていてとてもとても嬉しかったです。
第1曲の“葉ずえを渡る風“では音色の違う様々な声部が部屋中に心地よく広がり、遠くから鐘の音が聞こえるような、そんな空間に連れて行かれたような錯覚を憶えました。
第2曲の“荒れた寺にかかる月“は沢山の音を使って静寂を作り出す。夜の冷たい空気や空に浮かぶ月(この月は満月でしょうか?)まで見えるような静謐な音楽でした。
そして第3曲の“金色の魚“。さざめく水と泳ぎまわる魚と反射する光とがそこにあるような、音楽を聴いているのに、まるでそういうものがある空間にいるような気持ちになりました。
ドビュッシーの音楽は映像的だと思いますが、まるで心の中に映写しているような不思議な感覚になるのは、ルイサダ先生が映画好きでいらっしゃるからなのでしょうか。

もうかなり時間は押していましたが、アンコールは3曲。
『華麗なる大円舞曲』はもちろん素晴らしく、ブラームスの間奏曲Op.118-2はこの曲の全ての瞬間を慈しむような音楽、そして最後に戻ってきて「とても短い曲だから」とおっしゃって弾いたモーツァルトは聴いたことがない曲でした。後でこの曲のことをお尋ねするチャンスがあったのですが、それによると手稿が見つかったバレエのための弦楽の曲をピアノ編曲したものだとか。またいつか聴かせていただくチャンスがあるでしょうか。

本来50分のラ・フォル・ジュルネで始まりが他の公演との繋がりで押したのもあり、70分コース!
沢山のプレゼントをもらったような気持ちで会場を後にしました。


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