生きるということ


先日義母が他界しました。


とても苦労の多い人生だったこと、それゆえに笑顔で暮らせること、家族の絆を何よりも大切にしていた義母でした。

そう、LIVE配信中にたびたび話題にでていたあのお義母さんです。


とにかく冷蔵庫を魔法の箱と思っていて、なんでも冷凍!私たちに食べさせたいものはとにかくいつもカチカチに凍らせてありました。


ワイルドに収穫した野菜や、とにかく酢につければいつまでも食べられると山ほど作った酢漬け、半分残したおかずが冷凍してあったり、ジップロックじゃなくて買い物袋にダイレクトイン!などその強烈で微笑ましいエピソードはいつも私を楽しませてくれてました。

73歳で持病のリンパ腫と糖尿病を抱えながらも仕事をして、私たちにたくさんたくさん愛情をくれました。

それは全て自分がお金や食べることに苦労した経験からの行動でした。


子育て中のお母さんならよくわかると思いますが、子供が育ちざかりになるとメインディッシュのお肉やおさかななんてどれだけあっても足りませんよね。

自分の分はまぁいいかと、子供や旦那に食べさせて自分は残り物をかきこんで…なんてそんなことよくあることで(^-^;

お義母さんはそんなこともよくお見通しで、お墓参りの帰りに「これは食費や家族のものを買わずにあんたの好きなものを買うのに使いなさいね。」と3千円を握らせてくれました。結局は食費に消えていきましたが、そんな優しい義母でした。


義母はとにかくお参りを大切にしていました。

暑い日も寒い日もお墓参りに行きました。車を運転しない義母は私に車を出してもらうお礼にと「ご飯でも食べに行くかん。」といつもごちそうしてくれました。

義母はわずか手を合わせる数分のうちに毎度まいど般若心経を唱えていました。


そんな義母が突然私たちの前からいなくなってしまいました。



あんなに優しくてどんな人を相手でも自分を変えることなく強い意志を持った義母が亡くなるなんて。

あんな苦労を乗り越えてきて、これからもっと幸せを味わえるところだったのにと思うと無念で涙がたくさんこぼれました。

神様仏様はなんて意地悪で無慈悲なんだと思いました。


悲しみの中にいた時一番義母の喜ぶことをしようと思いました。真っ先に思い浮かんだのがお墓参りでした。

元日にお参りに行ったっきりでしたのでひと月半ぶりのお墓参りでした。


お墓の掃除の仕方、お参りのしかた。何も言わなくても子供たちが自分からする様子を見て私たちの中にお義母さんが残してくれたものの偉大さを初めて感じました。

お義母さんからのお墓参りのお誘いは「また行くの~」なんてめんどうに思ってたのに、これからはちゃんとお参りに来ようねとなりました。


葬儀の最後お坊さんからの説法でこんな話を聞きました。


人は生まれた時から死ぬことは決まっています。

今死んでしまってもおかしくないのが私たちの命。

この一息一息を生かさせていただいているだけで感謝しなければいけません。

亡くなったお義母さんは生き様を通して今を生かされている私たちにこれからたくさんのことを教えてくれます。

仏様となったお義母さんに手を合わせる目的はお義母さんを成仏させるためだけではありません。

自分が今を、いただいている命をしっかり生きていくためです。


ちょっと違うかもしれないけどこのような内容でした。


戒名も、お義母さんにつけられた名前ではなくて、お義母さんが私たちに何を教えてくれるのかがその戒名にあらわれているそうです。


今日終わってしまってもおかしくない命。


説法をきいたら、お義母さんは与えられた命を精一杯生き切った人生だったと私たち家族はみんな思いました。


それを幸せな人生というのかもしれません。


今を生きているか。

感謝をして生きているか。


亡くなる4時間前にかけてくれた電話。

「私は誰よりもマキちゃんを大切に思ってるから。あなたが一番大切だから。私は誰よりもマキちゃんを信じているから。夫婦仲良くしてちょうだいね。それが一番の願いだから。それが一番大事だから。本当にありがとね。よろしくね。」


ほんとにうれしい言葉を残してくれました。


ありがとう、よろしくね。そんな言葉で一生を終える。

わたしもそんな一生をいきたいな。





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