自分のくせ毛を愛する
私はなかなかのくせ毛なのですが、そのくせ毛をめぐり、お盆が近づく今ごろ、いつも心に浮かぶ思い出があります。
子供の頃は、お盆といえば父の実家で、各地から集まった親戚一同と過ごすのが常でした。
小さな私が何よりも楽しみにしていたのは、いとこ達と会えることでした。私のいとこは全員女子で、みんな私よりもだいぶ年上。普段はなかなか会えない大きいお姉ちゃんたちに可愛がられ、遊んでもらえることが嬉しかったのです。
さて、その出来事があったお盆は、まだ就学前だったと思うので、私が4、5歳の頃でしょうか。
従姉たちに囲まれ、その頃自分の中で大流行中の「パーマ屋さんごっこ」(時代が出ていてすみません)をして遊んでもらっていた時のことです。
従姉の中でも一番年上のTちゃんが、私の髪の毛を手で梳いてくれながら、
「まきゅうちゃんは本当にくせっ毛だねえ」
と言いました。
「くせっ毛」という言葉をまだ獲得していなかった私は、「クサッケ」と聞き取り、すぐさま未熟な脳をフル回転させます。
「クサッケ…クサッケってなんだ?…私の髪の毛は草のように生えているから、草っ毛というのかな?」
「わからない…わからないけど、私もお姉ちゃんたちに、ちょっとお姉ちゃんだと思われたい…!」
私は知ったかぶりを決めこむことにしました。
「そうなんだ〜私クサッケだから」
今で言うドヤ顔をばっちり決めて、ちょっとクールに胸を張りました。
途端に満場の大爆笑。
「ドッと笑う」と言いますが、この「ドッ」を物理的な衝撃波として体感した初めての記憶でもあります。
「クサッケだって!!」
「まきゅうちゃん、面白いね!」
精一杯知ったかぶった途端にみんなに大笑いされ、幼少期から「えへへ、なんだか笑われちゃった」と茶目っ気を出せるような明るいタイプではない私は、小さなハートが粉々になるほどのショックを受けます。
大好きなお姉ちゃんたちにめっちゃ笑われた!私の髪の毛はそんなに変なんだ!クサッケって、私のクサッケって…
そんなにおかしいものなんだ!!
大人になった今、従姉たちがただ単純に子供の拙さを可愛らしいと思い、それを愛でて笑ったであろうことがわかるので、それは愛でしかなかったわけですが、当時の私には理解できる由もなく、元々のセンシティブかつネガティブな性質もあって、それはそれは深く傷ついたのでした。
その年のお盆は、それ以降の記憶が真っ白になるほどの恥ずかしさと悲しみだったのです。
子供の頃はキャパシティがすぐに限界を迎えて、しょっちゅう世界の終わりが到来していましたからね。
それ以降、自分の髪がクサッケならぬくせっ毛であり、周りを改めて見渡してみれば、どうやら日本においては多数派ではないようだ、ということを子供なりに自覚するようになっていくのですが、このアンルーリーな髪の毛は、まっすぐサラサラの髪への憧れとコンプレックスの源となっただけでなく、長きに渡って私を翻弄する厄介者になっていきます。
と言うのも実は…くせ毛って不思議なもので、ずっと同じじゃないんですよ。(くせ毛の方で異論ありましたらお知らせください)
私の場合ですが、乳幼児期の外巻きくるくる期に始まり、
常に私だけ左から風が吹いているかのような「右外巻き、左内巻き期」
「高見山」と呼ばれた「顔の輪郭周りチリチリ期」(再びめちゃくちゃ時代が出てしまっています。高見山関をご存知ない方は、是非検索してみてください。相撲史上初のハワイ出身力士の方です)
「触覚」と呼ばれた「前髪の毛先が完全にダリの髭期」
と経過し、中学生の頃、なぜか急にくせ毛が一旦落ち着く時期がきました。
「もしやここから私も徐々にアジアンビューティーの髪に!」
と期待したのも束の間、高校に進む前後で、額の生え際から徐々にクルクルしだし、絶望する私の心なんかお構いなしに全頭髪が波打ち始め、毛量が多いこととごわつきがちな髪質も災いして、「くせ毛の獅子頭期」が到来してしまいます。
その頃ストレートパーマの存在を知り、試してもみました。
下敷きのような板の上に、濡らした髪の毛をペッタリ真っ直ぐに貼り付け、薬剤を塗って加熱、という手法だったと思います。(多分これも時代が出てしまっていますね)
美容院で大変な時間がかかった記憶もありますが、残念ながら憧れのサラサラストレートにはならず…当時の技術の限界でもあったのかもしれませんが、頑なな自分のカールをとにかく忌々しく思ったものです。
ならばいっそ思い切ってくせ毛にパーマをかけてみればどうか?と試してみたところ、当時流行していたのがスパイラルパーマであったことが幸いしたのか、これがなかなかうまくいきました。
生まれて初めて統制の取れた頭髪。憧れの真っ直ぐな髪ではないけれど、私を翻弄してきたくせ毛に、初めて一定の勝利をおさめた…
これはイイ!ということで、大学を卒業する頃まで天然パーマをパーマで制す時代が続きました。
ちなみにパーマはほぼ永遠に保つのではないかと思えるくらいとれないので、大変経済的でした。(でも今よく考えると、単に根本から自前のカールが出てきていただけかもしれません)
そんな中、正しく彗星の如く現れたのが縮毛矯正でした。
今では美容院におけるごくごく一般的な施術だと思いますが、当時の縮毛矯正の、なんと画期的であったことか!
そう、とうとう私は(というか縮毛矯正技術が)くせ毛を完封し、サラッサラの髪を手に入れたのです…!
黎明期の縮毛矯正は、なかなかギョッとするようなお値段でしたが、金に糸目はつけませんでした。
「縮毛矯正激烈リピート期」の到来です。
パックスロマーナならぬ、パックス縮毛矯正が訪れ、平穏な時代が長く続きました。
「もう2度と、くせ毛七変化許すまじ!」
根本がうねり出したら矯正をかけ、毛先を切りそろえて、ボブ・ア・ラ・Desireの中森明菜(時代…)をキープ、というサイクルがオートパイロットとなり、何も考えなくとも、ずっと続いていくように思っていた時…
私の竹馬の友・双極性障害2型が、大きな鬱エピソードを従えてやってきました。
そこから実は約7年に及び、再発に次ぐ再発を繰り返し、私はどんどん消耗していくのですが、それはまた別の話…
端的に言うと、具合の悪い間、私は世間からどんどん遠ざかり、美容室にも行かない生活になり、偽りのサラサラ時代は終わりを告げました。苦しみで自分を見失っていくのと反比例するように、髪は本来の姿に戻っていったのです。
ようやく本物の回復を感じられるようになり、久しぶりに心がすんと凪ぐのを感じた、昨年のある朝。
鏡に映った自分の寝起きの髪を、「ワオ…いい…」と思いました。そんなふうに思うのは、初めてのことでした。
背中まで伸びた髪が、ボリュームたっぷりに、弾むような大きなカールに仕上がり、朝日で少し茶色に透けて、「これからどこぞのガラにでも?」というぐらいゴージャスだったのです。(あくまで頭髪だけの話ですが…)
「ねえ、これくせ毛よ?!しかも寝起きよ?!無料よ、無料でこれよ!すごくない?!」
自分がもともと持っていた価値に目覚めた瞬間でした。
残念なことに、あんなに豪奢なベッドヘアで目覚めることは、あれからとんとありませんが、それでもあの朝からずっと、私は自分のくせ毛が好きです。
今は自然なカールを生かして髪型を作るのを楽しむようになりました。
久しぶりに会った友人に、
「いやー、髪型いいやん!パーマ?」
なんて聞かれると、
「いやこれ天パ!お値段ゼロ円!」
と嬉々として答えては、お得な気分に心躍るのです。
ご縁があって読んでくださった方へ。ありがとうございます!
愛をこめて
まきゅう
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