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「絶賛介護中」〜はぐれ雌ライオンの冒険〜

人生の終盤を意識しなきゃな〜と心配しつつ、

いやいや、まだまだいける!と思っている、
思い込もうとしている、

超絶 楽観 アラカン マダム!
まきせんせーでございます。

自分でマダム!と名乗るのはちょっと気恥ずかしいですが、

おばさん?は嫌だし、熟女?も違うし、、、

お許しください😉
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今回のブログは愚痴が多くて
自己嫌悪節、満載です。

元気を奪われてしまうと思いますので
読み進めるかどうか、
よくお考えくださいね。

だけど、最後は希望が見えるかも。


昨年1月に腰の手術で入院してからこっち、
85歳になった母は認知症が進んで、

短期記憶がほとんどなくなり、
簡単な片付けなどの作業もおぼつかなくなり、

その上バランス感覚もおかしくなって
歩行機なしでは
歩くことも立っていることもできなくなりました。

要するに一人で生活することができないのです。

なので長女の私が8月末で保育園を辞めて
在宅でできる仕事をしながら
母の側に付き添うことにしました。

年度途中で園長を辞める事で
各方面にとても迷惑をかけてしまうのはわかっていました。

が、娘として放ってはおけませんでした。

何とかして元どおりの母に戻ってほしい、
私の力で何とかしなきゃ。


しかし現実は厳しく、思うようにはいきません。

母はボーッとすることが多くなり
いつの間にかコックリコックリと
まどろむことが多くなりました。

排泄も失敗する事が度々あります。

まあ仕方ないことなんですが、
私の気持ちが追いついていけません。


「ああもう何やってるの(怒)」
などと声を荒げてしまうことも多く、

きっと私の怒鳴り声を聞きつけたのでしょう、
優しいお隣さんが心配そうな顔をして
お稲荷さんの差し入れをくださいました。

遠くに住む妹も、
退院直後は熱心に母の面倒を見てくれましたが、

家庭もあるし遠方から来るのは難儀だし、
受験生のいる家で母を預かることは
厳しい、と考えるようになってきました。

次第に連絡を取り合うことも少なくなり
私の応援要請にも難色を示し、

頼みの綱も切れてしまったのか、、、
と私の絶望感は半端なかった。


次から次へと新しいことに挑戦する
好奇心旺盛な母です(でした)。

スピーチ、
ピアノ、
腹話術、
紙芝居、
リフレクソロジー、
声優。

70過ぎてからこれだけの趣味に手を出して
しかもスポーツクラブで逆ナンパした5歳年上の彼氏と
旅行に行くのを楽しんでいたのに、、、

今までできていた事が出来なくなるなんて
悲しいし悔しいし情けない。


母のせいではないのですが、
母は「ごめんね。真紀にばかり苦労をかけて。」
と何度も何度も言います。

何て優しいんだろう。
本人が一番辛いのに。

そんな母をなじるような態度で
偉そうに振る舞う娘。

実際に私なんかよりも
もっともっと大変な介護をされているご家族の方は多いでしょう。

自分の意気地の無さに唖然。


私が怒った日の夜は、
私に怒られた夢を見て、

ショートステイという
泊まりがけの施設へ追いやられた時は
もう2度と戻りたくない病院へ強制入院させられたと言って
妹や親戚に明け方から電話をしまくり。

物事の記憶は持っていられないけれど、
怖い、とか
悲しい、とか
気持ちの部分は忘れないようです。

夢か現か、どちらなのか。
母の頭の中では何が起こっているのか?

母のことをかわいそうだ、と同情しつつも、
自己嫌悪、そして一人でやらなきゃ、といったプレッシャーとで
私は完全にパニックを起こしていました。


「どうしてなの?(泣)真紀はどうすればいいの(泣)あ〜ん(泣)」
と子どもに返ってしまった私は
母の前で泣きながら堪え切れない思いをぶつけていました。

夜中でした。

トイレで汚してしまったパジャマのズボンを
私を呼ぶことなく
よろよろしながら
自ら洗濯機に放り込んできたのでしょう、
肉の落ちかかった素足もあらわに
紙パンツ一丁で、
手に力を込めて歩行機をつかみながら
母は寝室のベッドの横に立ちつくしていました。


やはり母は母です。
私の母親です。

「お母さんにもわからない。
だけど何とかするしかない。
知恵を出し合って乗り切っていこう。」
と、こんな風に私に向かって言ってくれました。

その母の言葉を聞いた瞬間に
何かがわかったんです。

「そうだね。二人で考えて何とかやっていこうね。」



今でもまだまだイライラして声を荒げてしまう場面も多々ありますが、

彼氏とのデートをセッティングして
デート場所まで車椅子を押して連れて行ったり、

大好きな映画をAmazonプライムVideoで見られるようにしたり、

飛行機が大好きなので暖かくなったら北海道にでも行こうかと
計画したり、

認知症の薬を飲む代わりに日記をつけることになり
それを毎日書く手助けをしたり、

運動不足になりがちなので何とか少しでも体を動かせるよう
デイサービスの運動の先生に連絡帳で熱くお願いしたり。

一歩進んで三歩下がっているかも知れませんが
ゆっくりと進んでいけるんじゃないかな、
と思い始めました。


母にとっては義理の妹で私にとっては叔母の一人が
私たち二人を心配して泊まりがけで様子を見にきてくれて
こう言いました。

「義姉さんはいつも『ありがとう、ありがとう!』って言うわね。
本当に優しい。」


素敵な母。
大好き。
愛してます。

毎日でも手を握って
「大好きだよ!」
と伝えることにしました。

そして伝えていますよ!


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