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#明けない夜が来ることはない

 10代の頃は、自分がどんな大人になっているかなんてそんなに深く考えたことはなかった。

   世間的には割と名の知れた大学に進学したものの、特にやりたいこともないまま漫然と過ごす4年間。友人はそれなりにいて、恋人がいた時期もあったが何となくめんどくさくなっていつの間にか離れて行ってしまう… の繰り返しだった。就職も周囲の焦りをよそにあっさり決まった。はたから見ればエリートコースを走っているように見えるかもしれないが、実のところは「ただ何も考えておらず自分の意志がない奴」と言えるかもしれない。

就職して3年目となる4月。

突然の長期出張命令が出された。期間は半年だが正直半年で本社に戻れるかは分からない。ただ、それでもいいと思っていた。特に向上心も野心もあるわけでもない俺は大学時代と同様にただ漫然と日々を過ごしていた。東京から約500キロ近く離れたこの街でもそれは同じだと思っていた。


   国道沿いに佇むそのcafeは、長身でヒゲ面の店主がいつでも心地よく迎えてくれる。コーヒーと店主自ら厳選した素材で作る本日のスイーツが、地元誌にも数回特集されるくらい有名である。ただ、本日のスイーツは1種類しかなく、コーヒーに関しては数種類の豆から選べるシステムにはなっているが、メニューはそれしかないのである。

「食品関係のマーケティングに詳しそうな国仲さんだから、敢えて聞きたいんですが……」

長身のヒゲ面の店主は、その見た目に反して声質は高め。普段口数は少ないが、実は笑い上戸だと本人は言っているが、俺は断じて信じていない。

「改まってどうしましたか?」

東京に本社のある有名な食品関連会社に就職して3年目の春となる今年4月に、俺はこの街にやって来た。新規にオープンする店舗のスーパーバイザーとして半年間という期間限定の長期出張である。まだまだ新人の域であるこの俺がこの街に飛ばされたのは珍しいことで、本社にいる同期達はみんな羨ましいと口を揃えて言っていた。日々を漫然と過ごすと同様に、仕事面でも上から与えられたことは的確に着実に処理する性分でもあるため、はたから見たら「仕事が出来る」部類には入るんだろう。でも、それだけなのである。実は自分はとても面白味のない人間で、サイボーグなのではないか?とも思うこともしばしばある。

そんな俺に、この店の店主が聞いて来るのである。

「いや…この店ってさ、ご存知の通りメニューはコーヒーとたった1品だけのデザートしかないわけでしょ?そんなんでこの先もやって行けるのかなぁ?って、定期的に不安になるんだよね。プロの目線からだと正直どうなのかな?って……」

「このお店5年くらいなんでしたっけ?」

「うん、開店して5年になるね…」

「確かにこの店に初めて入った時は、メニューの少なさに驚きましたけどね。マーケティング的に考えるとやや先行き不安ではあるんですが、結局この店って売上げとか利益とか、そういうのは関係無いんですよね?」

「……」

「あ、言い方に語弊があったかもしれないですね。つまり、売上げよりも何よりこの店に来てくれる人の満足度を1番に考えてますよね?だから、マスターは自信持っていいんだと思いますよ。現に俺はこの店がなかったら今頃どうなってたか分からないですからね。ふふっ」

「国仲さんにそう言ってもらえるとありがたいですね……」

「まぁ、でも欲を言えば飲み物の種類を増やして欲しいなぁ、とは思いますけどね」

「あ、、、やっぱり?(笑)」

これは本心である。そして、この店がもしなかったら…というのも本心なのである。





「やはり、私は納得いきません!」

「納得どうこうよりも、これは本社の方針だから従っていただくしかありません。」

5月のゴールデンウィークに向けて新店舗がオープンするため、俺は4月からそのスーパーバイザーとして開店準備やら、スタッフ教育やらを任されていた。県内初出店となるため、本社も気合いが入っているのだろうか。だが、それだったら自分がこの場所に送られたことは腑に落ちない。もっと他に最適な人材が本社には山ほどいるだろう。かと言って意欲がないわけではなく、根っからの真面目な性分で与えられた仕事はきちんとこなしたい、という思いが強い。ただ、スーパーバイザーという名前だけは偉そうだが、新規店舗オープンに向けてのしっかりとしたマニュアルが存在するのである。そうでなければまだまだ新人の範疇である3年目の俺が今ここに立っていられるわけがないのだ。

「本社の方針というのも分かります。でも、その土地の特性というものもありますし、県民性なども考えると、マニュアルだけに縛られるのは……」

この新店舗の店長に就任した金井あゆみである。彼女とは、スタッフ顔合わせの時から何かとウマが合わない。2週間後にオープンを控えた本日もこのように俺を煩わせているのだ。大手食品チェーン店が、全国展開をしていくにはそれなりに規制がないとそれこそ共倒れになってしまうこともある。そして今は何でも流行り廃りのサイクルが早い。ある程度のマニュアルが大切なのである。ただ、彼女の言い分も分かるのである。将来的にも地元に根ざした店舗にしていくには地元民の意識に合わせた対応を迫られることもあるだろう。

「金井さんの意見は、とりあえず一旦本社に持ち帰らせてください」

まさか、自分の意見が聞き入れてもらえるとは思っていなかったというような表情を一瞬見せた彼女の口から出たのは、

「ねぇ、国仲さん。今夜少し時間ありますか?」




夜の繁華街は近くにいくつか大学があるようで、新入生歓迎会帰りなのか、これから二次会なのか、若者で溢れている。

「そういえば、まだ店舗が開店していないからスタッフもみんな新入職になりますよね、国仲さんの歓迎会を、やってなかったな…って」

「あぁ、俺は元々飲み会とかそういう類の集まりは苦手なんです。お気になさらず…こんな風に少人数の方が落ち着くんですよね」

この街は、日本有数の米どころでもあり、日本海に面しているため海の幸も新鮮だ。そして何よりお酒が美味い。金井あゆみは、どうやら俺より2つ歳上らしいが顔立ちはしっかりしており、物怖じしない性格のようだ。彼女はいわゆる地元民であり、郷土愛がとても強い。そのあたりは俺にはない感情であり羨ましくもある。

「国仲さんは、この仕事本当にやりたかったことなんですか?」

「どういう意味ですか?」

「あ、気を悪くされたらごめんなさい。何だか国仲さんって仕事の時って売上げとか利益とかばかり気にしているような気がして…本社から送り込まれてきたヒトの形をしたロボットみたいで…」

年齢的には俺の方が歳下となるが、一応仕事上は上司と部下という立場にあるわけだ。彼女はそれからも割りと厳しめの言葉で話を続けた。出会ってほんの数日という期間であるが、まるで昔からの知り合いなのか?というほどの鋭さで俺の事を言い得ていくのである。

「国仲さん!まだ時間いいですか?一緒に行きたい場所があるんです!」

そう言い放ち、俺の返事もしっかり聞かないくらいのスピードで彼女は立ち上がり俺の手を引いた。


波の音が聞こえるほどの距離で、夜の国道沿いを二人で歩いている。

「あのー、金井さん……一体どこへ?」

店を出てから彼女はずっと無言だ。もうかれこれ30分近くは歩いているだろうか……

「何だかこんな夜の中を歩いていると、もうこのままこの暗闇に飲み込まれそうになるような感覚ってないですか?………私はあるんです」

正直驚いた。彼女には何も悩みなどなさそうな印象を抱いていたためだ。そんな彼女からそのような発言が飛び出すとは、夢にも思っていなかったのだ。しかし人間誰しも表の部分だけではなく裏の部分というのはあるはずだ、ただその表裏の比率の問題のようにも思える。

「もしかしたら自分は、その暗闇の中にいることさえもまだ気付けていないのかもしれません」

俺がそう答えると、それまで割りと神妙な表情をしていた彼女の顔がほころぶのが分かった。

「ふふ……国仲さんはきっと自分に正直な方で、その場を何とか切り抜けようとか、そんなことはあまり考えないタイプなんでしようね」

「え、どうなんでしょうかね。自分の世界は周りが言うほ立派でもないし、今の仕事だってさっき金井さんが俺の本音の部分を一瞬言い当てたような感じでその通りなんですよ。面白味のない人間なんですよね」

俺は続ける。

「だから、この街に来たのだって自分の意志ではないしただ流されているだけ。言われたことをただ淡々とこなすだけ」

「………」

彼女はしばらく黙ってまた夜の道を歩き出したが、

「そんな国仲さんにぜひ紹介したい人が……」


そこからしばらくして到着したのがCafe「SALONマキハラ」である。もう気付けば40分近く歩いていた。4月とはいえ、まだまだこの街の夜は冷えるのである。そのCafeは国道沿いにこじんまりと佇んでいた。彼女がその店のドアを開ける。

「こんばんは!今日は例の彼を連れてきました」

と、彼女が俺を紹介したのが、長身の丸眼鏡とヒゲ面のこの男性であった。その風貌に最初は驚くが、その直後の笑顔と店中に漂うコーヒーの香りに安心したことは秘密にしておこうと思った。

何やら金井あゆみは、俺をこの店にずっと連れて来たかったようでそれを切々と語っている。遠いこの地に一人で乗り込んで来た若者の話をこのマスターに常々話をしていたようだ。そのせいか、マスターは俺とは初対面のはずだが俺のことを昔から知っているかのように快く受け入れてくれるのだ。

金井あゆみは、何を思って一体この3週間あまりの期間、俺と仕事をしていたのだろうか?暗闇の中にいることにさえ気付けない俺がどうもがいているかなんてどうして気付けたのだろうか?色々と疑問は残るが、それはおいおい自白してもらうとして、今は自分の心に何か火が灯ったようなこの感覚を大事にしたい、と本当に思ったのである。



「国仲さん……聞いてます?」

「あ、ごめんなさい。

ちょっとマスターと初めて会った日のこと、思い出してたんです」

「あぁ、ふふふ。

あの日の金井さんは本当に必死だったと思いますよ」

「もう…ちょっと勘弁してくださいよ。そうですね、今では本当に感謝しているんです……

で、何ですか?」


「さっき、メニューの相談したじゃないですか?実は新メニューがありまして」

そう笑いながらマスターから出されたこの飲み物がこの店の新たなメニューになるのは、もう少し先の話である。


この暗闇を切り裂くように光の筋が走って       この心で生きていく世界に
明ける事のない夜はない

【明けない夜が来ることはない】槇原敬之/2005年

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