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#素直

  陽射しがキラキラと水面を揺らしながら、その照り返しでさらにここのところ気温の上昇が激しい。この街では、冬にはそれなりに雪が降り、夏にはそれなりに気温が上がる。ただ、俺はそれでも関東ほどではないだろうと高を括っていた。

この春に、半年間のスーパーバイザーという大義名分の元、本社からの長期出張命令が出された俺はこの街にやってきた。もう4ヶ月が経とうとしている。

先週、定期報告も兼ねて本社へ1週間ほど戻り、今日またこちらへ帰ってきたが、1週間前に比べ明らかに気温の上昇を肌で感じているのである。

「おかしいな…先週はもっと涼しかったような気がするけど」

思わず呟いてしまうほどだ。

「一応、この街は雪国の認識だから、夏のこの暑さには私も最初の頃は毎年戸惑ったものです…ほら、冬は寒くて夏は暑いなんて救いようがないみたいじゃない?

あ、でもこんなこと言ったらまた金井さんに怒られてしまいそうですね。ふふっ」

俺の無意識の叫びを聞き逃さなかったこのヒゲ面の男は、この店のマスターである。ここは海の見える国道沿いにこじんまりと佇むCafe「SALONマキハラ」。俺がこの街にやってきた頃はこの辺りは静かなものだったが、今は海水浴客で結構賑わっている。ただ、海の家とも違うこのCafeには独特な雰囲気があり、この季節でも満員御礼というわけでは無さそうだが。

「そうだ、聞いてくださいよマスター」

「本社勤務が前倒しにでもなりましたか?」

「……な、何でそれを……」

国仲は、マスターに対して恐ろしいほどに心を読まれたと言わんばかりの何とも言えない表情をした。このマスター、たまに魔法使いなのか?と疑ってしまうほど人の心を読むことに長けている気がするのはきっと気のせいではないだろう。

「国仲さんが、この店に初めて来てくれた当時は全然そんなことはなかったんですけど、最近スゴいんですよ?」

「……。スゴい?とは…?」

「表情がね…ふふ。分かりますよ、表情の変化が4月とは比べ物にならない。国仲さん、自分では気付いていないみたいだけどね…」


「……?!ま、マスター…」

俺は二の句を継げられなかった。

マスターには俺の心は完全に読まれているのだろう。この街に来る前の俺といえば、ほぼ感情が表に出ないような人間だったのだと思う。そもそも感情の起伏自体があまりなかったような人間だった。そんな俺を変えてくれたのはこの店で客の話にそっと寄り添ってくれるマスターの力もあるが、もう一人……






「ねぇねぇ、店長!スーパーバイザーの国仲さん、もう今月で本社に戻るらしいですよ」

スタッフの一人が金井あゆみに耳打ちをした。

「……え?!」

「本来なら半年の予定だったみたいですけどね、この店舗が軌道に乗るのが思ったより速かったんじゃないか?って……あ、私本社にちょっと知り合いがいるんで風の噂ですけどね。でも先週国仲さん一週間本社に戻ってたじゃないですか。あれがその話だったんじゃないかって言われてるみたいですよ…」

彼女はオープニングスタッフの一人として、これまで一緒にやってきた大川だ。気の利く性格でもあり、何よりも情報通である。国仲さんの件は今、この大川さんから初めて聞かされたことで驚くほど動揺している自分がいた。

この店のスーパーバイザーとして本社から長期出張にてこの街に派遣された国仲さんと初めて顔を合わせたのは4月のこと。もう4ヶ月が経とうとしてきた。当初、本社の経営方針と土地柄を考慮しての私なりの店長としての方針の違いに顔を合わせれば対立し合っていた。ただ、あるきっかけで国仲さんとはプライベートでもカフェに繰り出し、仕事の話はもちろん他愛のない話をする仲にまでなった。

別に付き合っているわけではない。

「二人って付き合ってるんですか?」

覗き込むように大川さんが尋ねてくる。今自分が考えていることを読まれたかのような発言に一瞬動揺した。

「え?付き合ってないですよ」

「そうなんですか?!

でも、金井さんと国仲さんが、あの国道沿いにあるおヒゲのおじさんCafeに一緒に入っていくのを見たって人が結構いるんですよね?」

「まぁ、何度か一緒に行ったことはありますけど……二人で会うというよりは、あのCafeのマスターに会いに行ってるって感じなんですよね」

ここは狭いコミュニティであり、男女のそういう噂事は恰好のネタになってしまうのである。

「へぇ〜、そうなんですね。ていうか、金井さんと国仲さん4月の頃はあんなに毎日ケンカしてたのに、いつの間にそんな仲良くなっちゃったんですか?」

「国仲さんも、この土地は初めてだし私は元々地元だから色々教えてあげたりとか……」

「ていうか、国仲さんて普段どんな話するんですか?全然想像つかないんですよね」

出会った当初こそ、経営方針の違いで対立関係ではあったが、プライベートでも話すようになってからは意外と国仲の方が話の量としては多いことに、金井自身も驚いていたのである。そこにCafeのマスターがいい塩梅で合いの手を入れてくれる、その空間が金井にはとても心地のいいものだった。

ただ、情報通大川からの本社帰社話を聞かされた金井にとっては、彼女の中で何か新しい気持ちが生まれていたことに気付かされるきっかけではあった。



「か、金井さん?何か俺の顔についてます?」

「え?!あ、すみません……何でもないです」

ここ何日か私はおかしいのだ。自分でも分かっている。その原因が何であるかを……大川さんから国仲さんの本社帰社話をされてから私はおかしい。明らかに自分ではないような気さえもしているのだ。この店舗のオープンに向けて本社から国仲さんがこの街にやってきて早4ヶ月。スーパーバイザーという立場とはいえ、思えば開店当初からずっと店舗店長と本社社員という関係ではあった。意見の相違で何度かぶつかり合ったりもしたが、今ではいわば戦友のような感覚もある。その国仲さんが、本社に戻ってしまうということは……

そうだ!私はきっと心細いのだろう。開店当初からいた心強い仲間が一人いなくなってしまうことが心配なのである。それはきっと店舗店長としての思いに違いない、そうだそうだ!

と、自分に言い聞かせては、この胸の奥に芽生えている名前の分からない気持ちを押さえつけようとしていた。

「雪国だと油断していると、この夏の暑さについていけなくなりますね。この前東京帰った時とほぼ同じくらいの気温ですよー」

国仲さんが屈託ない笑顔で話をしている。

「国仲さん、本当に穏やかな表情するようになりましたよねー!何か心境の変化でもあったんですか?この店の開店当時は、いっつも金井さんと口論していて眉間にシワ寄せた顔しかしてなかったじゃないですか?」

大川さんが、ヒョイと私と国仲さんの間から顔を出しながらからかう。

「いやまぁ、あの頃は俺もこっちに来たばかりで余裕がなかったというか……長期出張なんて初めてだったし、マニュアルは一応ありますけど、加減が分からなかったというか……でも、この店舗はもう軌道に乗ったことだし、金井さんも大川さんもいてくれるから、もう安心ですね」

女の第六感というのは、時に恐ろしいほどに研ぎ澄まされ、その真実を伝えるのだ。そのように話す国仲さんを見ながら、私はそう思ったのだった。

国仲さんは、もうすぐこの街を離れるんだ……

ハッキリと告げられたわけではないが、私の心は外の暑さとは反対に急速に冷えていくのを感じていた。

「あ、私今日早出だったんで、もうあがりますね…お疲れ様でした」

「あ、そうでしたね、お疲れ様です」

何故かその場にいたくなかった。今日が早上がりの日でよかった、心からそう思っていた。国仲さんはまだ大川さんと話をしている。きっとこの後、大川さんはあの噂の真相を本人に直接確かめるだろう。


本当にここは雪国なのだろうか?この街に生まれ育って27年が経とうとしているが、未だにこんなことを考えてしまうくらい、この街の夏の気温の高さに驚かされる。先週の海の日が過ぎてからというもの、この海水浴場には明らかに人が増えた。海の家もチラホラと立ち並んで、そうか世間は夏休みなのか、と季節感を改めて感じるのである。社会人となってしまえば、夏の長期休みなどお構いなしに日々は巡る。

そう、日々は巡るのである。

きっと国仲さんはこの街からいなくなる。それはもう最初から分かっていたこと。半年の期間限定のスーパーバイザーという立場。多かれ少なかれいなくなることはもう必然的だった……それが少しだけ早くなっただけ、そうそれだけだ。

そんなことをさっきからぐるぐると頭に巡らせながら歩いている。向かう場所は国道沿いのCafe「SALONマキハラ」である。この店を最初に国仲さんに紹介した日のことを思い出し表情が緩んでしまう。それからは、何度か一緒にこの店を訪れたり、国仲さん一人でも何度か来店していることを聞いていた。Cafeのマスターと一緒に過ごす時間は、何よりも心地好く私も大好きだった。

「あ、金井さん。いらっしゃいませ……

どうしました?表情浮かないですね?」

周囲は海水浴客で溢れるこの付近ではあるが、あいかわらずこのCafeは客足が少ない。そんなことにも何だか安心してしまうのと、ヒゲ面のこのCafeのマスターの声があまりにも優しく、私は思わず泣きついてしまったのだ。


夏の陽は長い。

夜7時を過ぎても尚、昼の余韻を残しているようだ。海の見える国道沿いに建つこのCafeからは、海に沈む夕陽を眺めることができる。

夕方ここに訪れてから何時間が経っただろうか。自分の中にあるこの感情の行き場に戸惑いながらも、吐き出しその度にマスターは優しく微笑みながら聞いてくれた。

「金井さんの中にあるその溢れんばかりの感情を、そっくりそのまま国仲さんに伝えればいいんじゃないでしようか?」

優しくマスターは諭してくれる。

「……マスター、私も戸惑ってるんですよ。こんな気持ち久しぶりだから。しかも、気付いたのはこの数日なんですよ、お恥ずかしながら。迷惑でしかないですよ、たぶん……この街から離れる人にとっては、ただ重いだけのような気もするし…」

「それは分からないですよ…

本人の気持ちを本人じゃない人に決められてしまうのって、切ないじゃないですか?国仲さんがどう思うかは国仲さんにしか分からないことだと思いますよ」


「…………  マスター!!本当にいいこと言うよねぇ!私、この店があって本当によかったって思います!」

涙ぐみながら伝えているその時、店のドアが開いた。

「いらっしゃいま……あ、噂をすれば……

国仲さん、いらっしゃい」

振り向くとドアの前には国仲さんが立っていた。私と目が合うとその表情はみるみるうちに険しくなったのが分かる。


え?何でそんな表情なの?


私の方に向かって国仲さんが歩いてくる。

「金井さん?どうしたんですか?」

「え?どうしたって……あ…」

思わず頬をつたっていた涙を隠すように雑に拭き取った。

「あ、何でもない何でもない。お疲れ様です、今日の売上げどうでした?」

ここに来てまで仕事の話題を切り出してしまう自分に嫌気がさすが、それを遮るような勢いで国仲さんが言う

「金井さん、ちょっと話したいことがあるんですが時間いいですか?」

国仲さんの表情はまだ険しいままである。昼間見たあの穏やかな表情の彼はいない。

「マスター、すみません。ちょっと金井さんをお借りします」

「また二人でいらっしゃってくださいね」

優しくマスターは微笑む。その後は国仲さんと一緒に店を出て、ゆっくりと二人で国道沿いを歩いていた。昼間の暑さがまだまだ残っていて、汗で髪が顔に貼り付いてしまう、今が夜でよかった、と心から思う。そんな乙女のようなことを考えてしまう自分にも驚くのである。数日前の自分とはまるで違う人間がここにいるかのようである。

「金井さん、ちょっと浜に降りてもいいですか?」

「……あ、はい」

そう言って、二人で夜の砂浜へ降り、そのまま砂浜に腰をおろした。

波の音を聞きながら、夜風が程よい気温を運んでくれる。

「俺、実は夜の海って初めてかもしれません。こうやって砂浜で眺めるの……何だか吸い込まれそうで怖いですね」

よかった……国仲さんは、いつもの調子で話し始める。

「それ、私もよく思いますよ。昔から海は慣れっこだけど、夜の海の表情って昼間とガラリと変わるんですよね。

学生の頃なんかは、勉強とか恋愛とか悩んでいた時に、ふと夜の海が見たくなって何度か足を運んでいましたねー。今思えば、この暗闇の空間に自分の思いとか何とも言えない感情を流してもらいたかったのかも、って思えますけどね」

そのまま、私は続けた。

「普段は言えないようなことを、この瞬間なら言えそうな気もしますね……」

「金井さんでも、普段言えないようなことってあるんだ?」

ふふっと国仲さんが笑いながら話しているが、表情はハッキリとは見えない。

「国仲さんの中の私のイメージって何なんですか?」

私も笑いながら応答する。

「この街に来て4ヶ月経ちますけど、最初の頃と比べて俺は変わったと思います。昼間大川さんにも言われましたけどね。実は先週本社に戻った時に、何人かの同期にも言われたんですよね」

国仲さんから『本社』という言葉が出たことに、わずかに動揺する自分がいた。

「入社3年目のまだまだペーペーな俺に、何ができるんだろう?、って最初は不安ばかりでしたけど、新店舗のスタッフをはじめ、何より金井さんという店長がいてくれたからこそ、俺もここまで来れたと思っています。

俺の話をいつも聞いてくれて本当に感謝しているんですよ、金井さんには…

あと、何より金井さんの笑顔にいつも救われている気がしています……だからさっきマスターといる金井さんが泣いているのを見て動揺してしまったというか…」

「国仲さん、ちょっと噂で聞いたんですけど、もう来月には本社に戻るんですよね?最後に私の話、聞いてもらえますか?」

「え?その話一体どこから……」

暗いため表情は分からないが、少し戸惑ったような口調で国仲さんは答える。

「ここからいなくなる人にこんな話するのもどうかな?って迷ったんですけどね。実は…」

そう言って話出そうとした瞬間にふわっと目の前が何か布のようなもので覆われた感覚だった。一瞬何のことか分からず、思わず言葉にならないような声をあげてしまったのだ。ただ、その後の状況整理をする前に国仲さんが話し始める。私のことをぎゅっと抱きしめながら……

「ごめん、金井さん……汗臭いかもしれないけど、このまま聞いてほしい」

抱きしめられている感覚に思わず溺れそうになり、返事をするのに時間がかかる。

「俺は、金井さんに感謝しかないです。ここまで本当にありがとうございました。最初は対立してたけど、それでもいつも俺の話を聞いてくれて、本当に嬉しかったです」

あぁ、国仲さんは本当にこの街からいなくなるんだな……そう思ったと同時に、抱きしめられている理由を考え始めてもいるのである。

「国仲さん、私も聞いてもらいたいことがあるんですけどいいですか?」

丁重に応答するが、それでも国仲さんは私を離そうとはしてくれない。最初はそれこそドキドキとしていたのだが、徐々にこの状況の意味を考えることに必死になっている自分がいるのである。さすがにしびれを切らした私が話始めようとしたその時…


「俺、金井さんのことが好きです」


波の音に混じり、国仲さんの声が耳に届く。 

「それで、その噂どこから聞いたか分からないですけど、俺はまだまだこの街にいますよ」


………。


その言葉に一瞬自分の耳を疑ったが、次の瞬間

「え?本社に戻るんじゃないんですか?」

情緒も何もない返答が自分の口からこぼれたことは確かである。

「実は、当初はそうだったんですが、この街での新店舗開発が軌道に乗ったということで、もう一店舗、同県内で新規オープンすることになったみたいで……またそのスーパーバイザーに俺がそのまま指名された、という感じですね。もちろん今の店舗からは離れてしまうことも増えるんですけど、この街にはまだまだ留まる予定なんです」


それを聞いて、私の大きく開いた口はなかなか塞がらなかった。国仲さんは、いなくならない…まだそばにいてくれる…それより、ちょっと待って。それより重要なことを私はスルーしているような気がする……

「金井さん、返事聞かせてくださいよ…」

抱きしめられていた身体がようやく離され、暗闇でも国仲さんの表情が分かる距離まで顔が近付いている。

「……返事…」

国仲さんが自分のことを好きだと言ってくれた事実よりも、今はまだそばにいてくれるという安心感に喜びを感じている自分がいるのである。

国仲さんは次の私の言葉をじっと待っている。そんな彼がすごく頼りない小動物にも見えて愛おしい気持ちに包まれる。

私は思わず彼の口を自分の口で塞いだ。

ほんの一瞬の出来事にあっけに取られたような表情をしている国仲さんを横目に伝える。

「国仲さん、私の話を聞いてくれますか?」

自分の鼓動の音が、波の音にかき消されていく安心感を噛み締めながら、私は国仲さんへの思いを伝え始めた……


ポケットに手を入れながら歩く癖の訳は            いっぱい詰め込んだ気持ちをこぼさないように   
なんだか分からないけどすごく胸が痛いよ   
同じように感じてるなら 慣れるまで
我慢なんてもうさせない

【素直】槇原敬之/1997年

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