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プロローグ

 「ねぇねぇおじさん、カモメとウミネコの違いって知ってる?」

ここは海の見える国道沿いの小さなCafe。毎年夏には賑わう割りと名の知れた海水浴場が近くにある。季節外れの海の家のような佇まいでその小さなCafeは年中無休である。

ただ国道沿いで、大型トラックの通りも激しいがこのCafeにはあいにく駐車場が2台しかない。しかも駐車場には店主の車がいつも幅をきかせているため、この店の店主は本気で集客する気があるのか?と、近所の専らの噂である。

そのCafeの名前は『SALONマキハラ』どうやら店主の名前らしい。いつ立ち寄ってもそんなにお客さんで賑わうことはないが、美味しいコーヒーの香りと店主の人柄に吸い寄せられる人は少なくない。今日もまた1人、このCafeの香りに吸い寄せられた者がその扉を開ける。

「こんにちは~」

「いらっしゃいませ。ようこそSALONマキハラへ……あれ?今日はバイト休み?」

「そうそう。急遽休みになったよ大将がぎっくり腰だってさ!今日のオススメは何だっけ?」

扉を開けると笑顔で店主が迎えてくれる。歳のほどは50歳前後か。丸眼鏡に顎ヒゲが特徴的である。見た目に反して声は高め、そのギャップにまず初来店のお客さんは驚くのである。少し西の方の訛りはあるが、基本的には口数はあまり多くはない。コーヒーのサイフォンの音と蒸気が上がるその窓辺には店主自慢の飼い猫がアクビをしながら遠く光る海を眺めている。まるでその空間だけ時間の流れが変化しているかのような錯覚さえ覚えるのである。

本日一人目のお客さんは、常連の大学生住吉だ。来店のきっかけは1年前。他県から進学のためにやってきたこの街で引っ越しの途中で見つけたCafeである。住吉の故郷は、いわゆる海無し県であり、進学のために住み着いたこの街が本当に好きだった。この街に来てもう一年が経とうとしている。住吉が初めてこのCafeを訪れたきっかけは自転車のタイヤがパンクしたことだった。引っ越して間もない頃、街散策のために大学の授業が始まるまでたくさんサイクリングをした。その日は思えば朝からついていなかったのだ。大学の入学式を間近に控えたその日、季節外れの雪が降った日。住吉の故郷は海は無いが雪は日常的だったため、それほど動じなかったがそれでも桜ももうすぐ満開というその時期に見る雪は珍しいものだった。それに気を取られ自転車ごと車道と歩道の狭い隙間にひっかかり思わず転んでしまった。それがちょうどこのCafeの目の前だったのである。それを店の中から見ていた店主が思わず助けてくれたことがきっかけだったのだ。

店主は器用に、転倒した弾みでパンクしてしまった自転車を直してくれたのだった。何だか申し訳なさと、海無し県から出てきたことへの劣等感のようなもので、思わず口から出た言葉。

「ねぇねぇおじさん、カモメとウミネコの違いって知ってる?」

だったのである。その時の店主の顔は今でもよく覚えている。明らかに「おじさん……だと?」という表情と共に、最近の若者は敬語も使えないのか?という表情が入り交じった何とも言えない顔であった。ただ、後々それは全く違うものだった、ということが分かるのである。何故ならば、店主もその昔若かりし頃に同様の質問を誰かにしたことがあったというのだ。だからあの時の顔は、「こいつ……俺の若い時と一緒じゃないか」という、思わず驚きの表情だったと知ることとなったのだ。

この店主、身長は180はないくらい。顎ヒゲが特徴で季節によってその長さは変わるようだ。住吉は、大学への通り道でこの国道沿いを利用しているが、海も季節毎に色々な表情を見せてくれることを知った。春から夏にかけて海の水面がキラキラと輝いているその情景は、何だかこれから始まる大学生活への期待に胸踊らされる自分を表しているようでワクワクした。そしてこの店主のヒゲは秋から冬にかけては、やや長めとなるようだ。若い頃はだいぶスッキリとヒゲを剃っていた時期もあったそうで写真も見せてもらったが、何だかこそばゆいような感覚がしたことを今も話すとクスりと微笑むその横顔が可愛いらしいとさえ思えるのである。

それから住吉はバイトの無い週に1度はこのCafeに顔を出すようになった。コーヒーが美味しいことと、こじんまりと佇むこの雰囲気が好きなことと何よりこの店主の思い出話を聞くのが何よりの楽しみでもあった。

これまでこのCafeに訪れたお客さんの話は元より、店主本人の話も混じえながら聞くこの穏やかな時間が、住吉にとって今は何よりの癒しの時間であった。顔には似合わずスイーツ好きの店主が自ら選ぶ「本日のスイーツ」と共に、今日は一体どんな話を聞かせてくれるのだろうか?という思いで、今日もこのCafeの扉を開けるのである。


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