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#北風

  海から流れてくる汐風は地元のいわゆる浜風とは違う印象を与える。夏は比較的穏やかだったその風が針のように顔面を突き刺す季節となってきたようだ。

この街に来てからすでに8ヵ月が経過していることに気付く。大学までのあまり遠くない道を国道沿いに真っ直ぐ進む。思えば1年前の今頃は受験勉強に必死で、こういう季節の変化には疎かった。というか、それまでも季節の変化に対してそこまで気にしたことはなかった人生を俺は送ってきた。

「おはよう。今日は早いじゃないの。朝から講義?」

長身のヒゲ面の男が声を掛ける。

「……はよっございまっす。そうなんスよ、今日朝一から落とせないやつで。しかも住吉のやつ、LINEで起こせとか言っておきながら未だ未読だし。アイツ単位落とすんじゃないかって思ってます」

「ははは。住吉君らしいね…でも君もちゃんと朝からLINEしてあげるのが優しいところだよね」

そのヒゲ面の男は、優しくクシャっとした笑顔を見せる。この国道沿いにひっそりと佇んでいるCafe「SALONマキハラ」の店主である。海水浴のシーズンは割りと賑わっているこの街も、冬の便りが届きそうなこの時期は寂しさ漂うことこの上ない。

「俺の実家って、海は近かったんですけど瀬戸内海だったんで改めて冬の日本海の厳しさ身に染みてますよ」

「そっか……千田君は広島だったっけ?」

「そうっス、尾道です。ていうか、この店大丈夫ですか?」

「え?……何が?」

「昨日の夜も凄い風で吹き飛ばされないかな?って、住吉とLINEしながら心配してたんスよ」

「はは!大丈夫大丈夫。この店、見た目以上に頑丈だからね……でも、今夜あたり降るんじゃないかなぁ?」

「……え?降るって…」

「雪がね」

「あー、だからこんなに風が強いんスか?どのくらい積もるんだろ、楽しみっスよ……あ、住吉から今やっと返信ありましたわ、ギリ間に合うかなアイツ……」

「これだけ風が強いとね、雪は積もらないんだよね……私もこの街に来て長くなるからだんだん分かってきたよ。

住吉君は間に合いそうなんだね、それはよかった」

「もう少ししたら、アイツすげえ形相でこの通りをチャリンコ走らせますから」

「ははは。目に浮かぶね。

また2人で遊びに来てね。じゃ、学生諸君勉学に励んでくれたまえ」

と、やや不正確に整えられたヒゲを生やしたその店主は言い残し店に戻った。これから開店準備が始まるのだろう。

「おっと、俺も遅刻しそうだ!ヤバッ」

千田もこのCafeの常連。昨年、学部オリエンテーションにて学籍番号が前後であった住吉と意気投合。生まれた場所や育った場所はまるで違う2人だったが、価値観など話していてもすごくしっくりくるほど心が通い合う今では無二の親友である。

足早に急ぐその胸の内は、先程のCafe「SALONマキハラ」の店主の言葉。

「今夜あたり降るんじゃないかなぁ?」

千田の故郷は広島県尾道市。雄大な瀬戸内海を見下ろす少し高台に千田の生家はあった。自然と笑顔がほころぶ。この街は日本海側でも豪雪地帯に属する場所である。

「本当に雪が降ったら見せたいよなぁ……」

千田はおもむろに呟いたが、その自身の声と発言自体に驚いていた。




「ギリギリセーフ!マジで生きた心地しなかったわ!ていうか、未読なら直接電話くれるとありがたいんですが?千田さん」

「いや自業自得だろーが。まぁ、でも間に合ったんなら結果オーライじゃね?」

何とか朝一の講義に間に合った住吉が、近付いてくる。どうやら今日提出のレポートを明け方までやっていたらしい。周囲の友人達から見る俺と住吉の関係というのは、何というか性格も正反対であり一見相容れないような印象を受けるようだ。ちなみに俺は地元で一浪しているから、年齢的には住吉より一つ歳上になる。そんな俺に住吉は、敬語を使うわけでもなく、歳上として建ててくれるわけでもなく本当に昔馴染みの友達のように接してくれるのだ。今時浪人して入学するなんて珍しいことではないし、歳の差があることで学科のみんなに気をつかわれてしまうかも、なんて思春期女子みたいな不安はなかったが、それでもオリエンテーションで住吉に話しかけられた時は嬉しかったものだ。というか、アイツは俺の年齢を実は把握していないのではないか?とも思えるのである。

「なぁなぁ、さっき学校来る途中でさ、マキさんに会ったんだよ」

マキさんというのは、Cafe「SALONマキハラ」の店主である。俺と住吉は恐らく30近くは離れているであろう人生の大先輩のことを「マキさん」と呼び合っているのである。マキさんの本当の年齢は実は確かめたことはない。俺も住吉も恐らく50前後だろうという予想を立てているが本当のところは年齢不詳なのである。

「あぁ、俺も朝見かけた…そんで、お前のことチクっといたんだ。寝坊助遅刻ヤローだって」

「ま、まぁ、、、それは事実だからさ……ってオイ!違うよ。そんでさ、マキさん言ってたんだよ」

「あ、それたぶん俺も同じこと聞いたと思うわ」

「マジで?!」

「今夜、もしかしたら降るかも…って話だろ?」

「………… 降る?」

「え?違うの?雪が降るかもね…っていう話」

「あ、すまん!全然違ったわ。」

「は?じゃ、何?」

「いや……本日はパンナコッタっていう話」

はぁぁぁ~、一気に脱力感。住吉はCafe「SALONマキハラ」の本日のオススメスイーツの話をしていたのである。

「ちょっと浮かれてた自分がバカみたいだわ…」

俺がそう呟くと、住吉が続けてこう言った。

「分かるよ、前に話してたあの子のことだろ?」

「………」

住吉の口から出たその言葉にも驚いたが、普段はチャラチャラしているように見せかけて俺のこの心をいとも簡単に読んでしまうことに、心底怖くなるのである。

「俺の地元はさ、雪が全く降らないわけじゃないんだけどさ、やっぱ雪国の雪って俺も初めてだから実は結構楽しみ」

地元民にとっては毎年のトピックになるほどのその年の積雪量らしいが、こんな風に県外からこの街に住み着いた人間にとっては、大きな声では言えないがワクワクする案件なのである。

「マキさんは、地元はここじゃないみたいだけど、もう何年も住んでいるから雪が降る雰囲気が分かるみたいなこと言ってたな」

「そうだよな、マキさんってちょっと西の訛りあるよな?お前の広島訛りとはまた違う感じのさ。柔らかい関西弁?って感じ」

「ああ、確か京都よりの大阪って言ってなかったか?」

「言ってたかも!そんなマキさんが言ってんだからさ、やっぱり今晩は雪が降るんだよ」

「ただ、この風だから積もりはしないかも、とも言ってたな」

「えー!そうなん?俺明日の朝張り切って雪ダルマとか作っちゃおうかと思ったのにー!」

「お前はそれより、明日の朝一の講義も寝坊しないことだな。マキさんは積もらないだろう、って言ってたけど、もしも積もったら自転車なんて乗れないんだぞ、分かってんのか?」

それは大変だ、というような表情をして住吉は次の講義に向かった。俺は今日はこの朝一と夕方の講義。何だかたまらない気持ちになり、その空き時間にCafe「SALONマキハラ」へ向かった。



「あれ?朝ぶりだね」

相変わらずのヒゲ面の店主が迎えてくれる。

「一限終わって、次は四限まで授業ないからさ、その間ここでレポートでも書こうと思って……」

ふっと微笑むと、そのヒゲ面の店主はさっと本日のオススメ「パンナコッタ」を出してくれた。

「別に天気予報を見たから、とかじゃないんだけどさ、このパンナコッタの真っ白なフォルムが雪ダルマに見えないかい?」

「マキさんってさ、前から思ってたんだけどさ、口数少ないのに出てくる言葉が結構独特だよね?」

「……うん、よく言われる」

嬉しそうな表情を浮かべながらペロリと舌を出す姿はまるで少年のようにも見えるから恐ろしいのである。

このCafeはコーヒーと店主自ら作るスイーツが話題である。何やら地元誌にも何回か掲載され、「お髭のダンディな店主」という何だかこそばゆいようなキャッチフレーズまで付けられているようだ。俺と住吉は甘いものには目がないため、来店の度にこの店主であるマキさんの作るスイーツを楽しみにしている。ただ、楽しみの理由は決してそれだけではないのだ。普段口数の少ないマキさんの口から紡がれる言葉達が、どうにもこうにも俺の心を刺激してしまうのだ。マキさんの言葉は、何だか魔法がかけられたような力があるのだ。きっとそんなマキさんに会いたくて常連になっている他のお客さんは大勢いるのだろう。


夕方、最後四限授業終わりの帰り道。今日住吉はラーメン屋のバイトだ。俺は一人この国道沿いの道を歩く、とその時。鼻の頭に白い小さな氷の結晶だ。

「雪だ!」

俺は思わず叫んでしまった。そして思い出すのだ、広島からこの街にやって来た日のことを。今は遠く離れた故郷のあの子のことを……

「雪がたくさん降るところなんだよね?」

今の大学には浪人して入ったので、俺は1年間予備校に通っていた。同じ国公立大学クラスで出会った青山という女性。予備校の席では隣になることが多くいつの間にか仲良くなっていた。勉強の話はもちろんだったが、息抜きにお互いのことは割りと何でも話をした。辛い浪人生活の中で彼女と過ごす時間がいつしかかけがえのない癒しの時間に変化するのは、そう遅くはなかった。

第一志望校を聞かれた際に、彼女が言ったその台詞。やはりこの街は「雪が降る」で共通認識なのだろうか。彼女の志望校は地元広島だった。お互い辛い浪人生活を乗り越え、無事第一志望の大学に進学が決まった。それと同時に、俺と彼女も別々の道に進むということも……

同属意識なのだろうか。同じ境遇の中で一緒に戦っているという戦友感。志望校は違えど、目指す道は「第一志望合格」という同じ目標に向かって歩いていた日々があった。ただ、それは期間限定のものではないのだろうか?これから先の長い人生の中でのたった1年間。

俺は彼女のことが好きだったんだと思う。そして、恐らく彼女も俺のことは嫌いではなかったと思う。でも「好き」の二文字は最後まで言えなかったのだ。これからお互い新しい環境の中でまた新しい出会いの機会がたくさん待っているであろう、そんな状況の中で「好きです」というこの想いを伝える度胸があの頃の自分にはなかったのだ。

親友の住吉には、この話は一度だけしたことがある。知り合いになりたての頃に一度。ただ、住吉はそのことはしっかり覚えてくれていたようだった。アイツの心の中にも何か響くものがあったのだろうか?そして、上京するその日、彼女は見送りに来てくれて一言こう言ったのだ。

「雪が降ったら教えて欲しいなぁ…風邪ひかないでね」

それが彼女と交わした最後の会話である。俺は思い出す、あれからもう8ヵ月が経つ。もちろん彼女のことを忘れていたわけでもなく、ましてや他の女性のことを好きになったわけでもない。

まだ好きなのである。同属意識的な想いと思い込もうと自分の気持ちに蓋をしてしまったのは俺自身。単に臆病者とも言うのだろう…

今朝、マキさんの言葉にハッと我に返った気がした。「もしかしたら降るかもね」……

この街に来てからは、彼女とは連絡をとっていない。きっと彼女は彼女で新しい出会いと楽しい日々を送っているだろう。ただ、どうだろう?敢えてお互い連絡をしない、ということにもしかして大きな意味があるとするなら、俺はすごく大きな大きな過ちを犯しているのではないだろうか?

この帰り道、徐々に空から舞い降りる雪の形は大きくなっていく。マキさんの予想は半々だ。雪が降るのは当たった。でも風があるからきっと積もらないだろう、というのは大ハズレだ。風は止んで、この海の見える港町にもしんしんと雪が積もっていく。今日は傘を忘れたから、歩いている俺の頭の上にもどんどん積もっていく雪。

意を決してスマホの画面を見る。そう、彼女に「雪が降っている」ことを伝えるために。

スマホの画面にはすでに7分前に1件のLINE通知の文字。これまでのことを悶々と考えていたら、全く気付かなかった。

通知の相手は、青山ちはる

彼女からだ!!

寒さと嬉しさと緊張で少し震える指先で、スマホ画面を操作する。






「毎日、天気予報で雪マークをチェックしていました」





もしかして、君も俺と同じ気持ちだったのだろうか?いや、それはまだ分からない。でも、俺の気持ちは伝えなきゃいけない。何から伝えようか。まずは「好きです」という気持ちと、、、久しぶりすぎて何も話せなくなる俺に君は笑うだろうか?雪がまだ降ってもいないのに、早く「雪が降ったよ」と伝えたいと急ぎすぎた俺に呆れるだろうか。

珍しいことや何か新しいことじゃなくても、この心が伝えたいと思う相手はやはり君なんだな…という気持ちが、恋なのだろうか……


天気予報の雪だるまとパンナコッタを雪だるまに例えたマキさんの言葉がリンクして何とも言えない気持ちになった。そして、明日の住吉はこの雪で遅刻決定だろうから、いつもより早く起こしてやらなければ、と妙に現実的なことを考える夜だった。

北風がこの街に雪を降らす                               
歩道の錆びついた自転車が凍えている           
今君がこの雪に気付いてないなら                   
誰より早く教えたい 心から思った

【北風】槇原敬之/1990年
「君が笑うとき君の胸が痛まないように」






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