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Beauty Japanを通してこうなっていきたい!「Career編①」~これまでの歩み~

旅する企画プロデューサー、だしソムリエの鵜飼真妃です。

こちらのnoteでも、たびたび「Beauty Japan中日本大会ファイナリスト」として現在、活動していることをお伝えしています。

ヘアメイクでお世話になるメナードさん。

7月23日(土)に、名古屋で中日本大会が開催され、選抜された7名が全国大会に進むことができます。

Beauty Japanは、単に外見の美しさを競うコンテストではありません。

社会で活躍し、貢献できる女性を発掘し、その活動を応援するという面がオンリーワンな大会です。
年齢も身長も関係ありません。

「美しい生き方」「美しい使命」「背景や目標」
「これまでのキャリア」「これからのストーリー」
「今、実践中の事柄(社会的役割、実力、スキル)」
それらが評価の中心にあります。

🧡Beautuy Japanが大切にするコンセプトは、7つあります。

  1. Beauty(美しさ)

  2. Career(経歴)

  3. Sociality(社交性)

  4. Independence(独立性)

  5. Fashion(魅力)

  6. Entertainment(表現力)

  7. Culture(文化)

関係者の皆さんと。

ぜひ読者の皆さんに知ってほしいので、
この中から、「Career(経歴)」と「Independence(独立性)」について書いていきたいと思います。


わたしはビジネスすることが好きで、ゼロイチ、立ち上げが大好きです。

🧡今回は、わたしの「career①これまで編」をお伝えします!

「career②これから編」はこちら→
★★
「independence(自立編)」はこちら→★★

①印刷会社のマーケティング部時代

大学卒業後、印刷会社のマーケティング部に配属。
大手メーカーさんなどを相手に、店頭キャンペーンや販促イベントなどを考えていく。


どうしたらお客さんの興味喚起できるか?売れるのか?ということを常に考えるベースができました。


職場は女性で活躍している人も多く、居心地は悪くなかったのですが、どこか上司のサポートな部分が多く、歯車のような感じがして、2年もすると退屈さを感じ始めていました。

宮古島でブルースムージー。


②出版社での編集&ライター時代は大きな転機。


そんな中、大手出版社のWebマガジンを立ち上げるスタッフとしてのお誘いを受け、出版社に転職。

ここはもともと、週刊誌の編集部が独立した部署でした。
ここでわたしは、ビジネスの考え方の基盤をつくることになります。
それは、

①「常にコンテンツを客観視すること」
②「売れなかったら自己満足。売れるものをつくること」
③「ニーズを把握すること」

毎週の企画会議、何本出しても、落ちる日々。
自分が「おもしろい」と思うことだけではダメなのです。


常に客観視して、受ける側の立場になって「どうしたら興味をもってもらえるか?」「購入したくなるか?」ということが命。
コピーも文章も見せ方も。


「売れなかったら自己満足」なのです。


そんなことを日々考え続けた結果、「占い」コンテンツをヒットさせることに成功。

また、有名な写真家さんと小説家さんでコラボした企画も立ち上げたり、数々のチャレンジをすることができました。


売れる企画を作ることは楽しいものです。


ここで徹底的に鍛えられたことはその後の自分のベースとなり、大きな基盤となります。

②フリーランス暗黒時代

出版社での経験は大きな転機となったのですが、当時は契約社員だったので、部署を変わることがその後もない状況でした。


ある程度、経歴を積み上げると次の目標が見つからなくなり、3年ほどの勤務のあと、ここでまた挑戦しようと決めます。


退社して、フリーランスになること。


・・・と言うとかっこいいかもしれませんが、この時期は至難の時期でもありました。


インタビューや食の取材などのライターの仕事を手あたり次第しようとするのですが、注文されたことをきちんと納品する、というのがどうも苦手で、すぐ飽きてしまう。


編集者になるにしても、オンラインのものしかできないので、雑誌や書籍はできない。


出版社出身でも、とても中途半端な状態だったのです。
フリーランスでは不安定で、契約社員をしたりもしていました。


そんな中で芽生えたのは「いつか起業したい」「自分で立ち上げたい」ということでした。


フリーランスのライター、というのは、自由に見えて自分で選択ができるようで、どうしても、言われた仕事をこなす下請け的な面があります。


でも自分が大切にしたいのは、「自分が立ち上げ者として、コンセプトも内容も支払う金額もすべて考えていきたい」「一緒にお仕事する人も自分で選んでいきたい」ということでした。


自分には何ができるのだろう?
と思い、ブログを書いたり発信をしたりはするものの、わからない。
模索していく日々が続きました。


起業塾に入ったり、女性向けブログマーケティングの媒体を立ち上げてみたり(うまくいかず頓挫)、手あたり次第いろんなことを試していました。

名古屋・栄の街並み。緑豊かなところが好きです。


③「だしソムリエのブログ」を立ち上げる。

「だしソムリエ」起業を考えたのは、2008年の暮れ。


わたしは実家が、かつお節など削り節類を卸す商売をしているのですが、ある相談を受けたことから始まります。


それは
「通販商品を作りたい」ということ。


うちの実家は、業務用卸の商品がほぼ100%でした。
そんな中で、これからの時代はやはり「通販」が必要だと。
あなたオンラインに強いでしょ、ということで相談されました。


わたしはその直前に立ち上げようとしていたあるプロジェクトが、共同運営者と意見が合わず立ち倒れになり、さて次はどうしようと思っていたところでした。

「ここで何かをきちんとやり遂げないと、この先も何もならない」

と感じていた私は、実家にあって身近な「だし」に注目するようになります。

カラフルな、おだしたち。


だしソムリエ、を立ち上げたというとよく言われるのですが、わたしは管理栄養士でも調理師でもなく、「食の専門家」だと思ったことが一度もありません。


料理が得意でも大好きなわけでもありません。普通です(笑)
(食べることは好きだし、多少舌は超えていると思いますが…)


わたしは「企画者」「プロデューサー」だと思っています。


そんなわたしの実家の会社には、いつも、業務用の削り節たちが1キロ詰めの大量パックになって山盛りに置かれていました。


幼いころからよく、仕入れ先のうどん屋さんにいって「ここはうちのだしを使ってる」ことを言われ、うどん文化にはなじみがあります。
卵とじ、天ぷらうどん、カレーうどん、味噌煮込み、きしめん。



名古屋といえば、濃い味付け、と思われています。
だから、だしソムリエを始めて伝えたかったのは、一般的には「だし」は、上品なお吸い物やだし巻卵、を連想されるけれど、それだけではない、ということ。

「味噌煮込みやカレーうどんに合うだし」と、「お吸い物に合うだし」は違うのです!!

そんな思いから、「だしにもいろいろある、ことを知ってもらうためにはどうしたらいいのだろう?」と思い、ブログを始めることにしました。


何か覚えてもらいやすい肩書きがあるといいな、一発で検索に出てくるような・・と思い、考えたのが「だしソムリエ」。
「野菜ソムリエ」を始め、たくさんの講座が出てきた時期でもありました。


2008年11月頃に『だしソムリエのブログ』を立ち上げると、一か月もしないうちに「だしソムリエって何ですか?」とブログに問い合わせがありました。


それが『通販生活』の担当者さんから。
そこから色んな審査があり、一年後の秋号で「だしパック」を販売することが決まったのです!


さらに、同じような時期に展示会に誘われて行ったら、通販番組『ショップチャンネル』の担当者の方にも会い、だしパックを探していた、ということで、これもまた一年後の秋に放送が決まったのでした。


「だしソムリエ」と名乗ったブログを立ち上げただけで、ポンポンといろんな仕事が決まっていったのでした!


④「だしソムリエ」資格講座を作ることを決める。

2009年に『通販生活』『ショップチャンネル』に取り上げられ、通販の礎を作ることはできました。同時期に「だしソムリエプロデュースのだしパック三種」も作り、実家で販売を開始。
親に頼まれたことは果たせたことになります。


しかし、わたしは「物を売る」だけにはあまり興味を持てなかったのです。


何かしら、アイディアを形にしたいし、企画していきたい。


そんな中で、「だしソムリエ」の資格講座を作ることを思い立ちます。

当時は食の資格講座のブームまっさかり。野菜ソムリエを始めとして、たくさんの食の資格が注目を集めていました。

野菜があるなら、だしにソムリエ、もあってもいい。
しかも、だしは、単体でいろいろ抽出してみると、その微妙な色の違いがとても「ワイン」にも似ているのです。

「だしソムリエ」しかない!と思いました。

2009年には決めて、2010年6月に任意団体としての「だしソムリエ」公式サイトを作ります。その間は、野菜ソムリエや他の食の資格をとって勉強していました。


「だしソムリエ」初の資格講座である、「だしソムリエジュニア(現3級)」の開催は、2011年6月。


構想は決まっていたもののいつからスタートしようか、と迷っていた私を後押ししてくれたのが『らーらぱど』という、都営地下鉄沿線に置かれていたPR雑誌からの取材。


忘れもしない、2011年1月でした。

取材を依頼されてから直後に東日本大震災。少し時期が延期になったものの、無事、撮影をしていただくことができ、「だしガールになろう」という企画で巻頭ページを飾ることになりました。


「もう、講座をスタートするしかない!」
と思い、必死で資料をまとめあげ、2011年6月に初開催。


初開催なのに24名もの方がどこかからか見つけてきてくださり(友人への声がけ含む)、感激したのを覚えています。


その後は、だしソムリエジュニア、を4級として改名し(のちに3級に改名)、ほぼ毎月のように開催。常時、10~20人の方が来て下さる上々のスタートとなりました。

記念すべき第一回の受講風景。

⑤「だしブーム」となり、怒涛の取材を受ける光と影。

2012年10月には「だしソムリエ2級」をスタートすることになります。


こちらも「待ってました!」という感じでたくさんの方に来ていただき、2カ月に一度ほど開催し、常時20名程の方に受講していただきました。


そんな中、東京では特に受講生が増えてきたので、わたしが講師を担当していたものを、徐々に認定講師、として、引き継いでもらうことにしていきます。


さらに、各地で講座を開講したい、という人も増えてきて、2014年には「認定講師養成講座」も開講していきます。


「だしソムリエ1級」を作ったのが、2015年5月。
1級を作るまでに時間がかかっています。


ここで3級~1級の特徴をお話しますと、


「だしソムリエ3級」☞昆布・かつお節類・煮干し類・乾しいたけの7種類のだしの飲み比べ。3時間で終了。

「だしソムリエ2級」☞3級をさらに深く。料理への生かし方も学ぶ。卸メーカーの方や料理家の方を交えて、2日間で7人の講師による講義。だしの飲み比べは25種類。

「だしソムリエ1級」☞和洋中の世界の料理とだし。ラーメンとだし。栄養素について。2日間で6人の講師による講義。
だしソムリエアカデミー

となっています。
対象は、だしと食に興味のある方、お仕事に生かしたい方。
飲食店経営者、料理人の方、料理教室主催の方や食メーカーの方など
が多いです。


1級講座をスタートすると、これまでの受講生の方からのお申し込みが雪崩のように入ってきて、うれしいのだけど、これまでのエントリーシステムは大幅に改善が必要になったり、脆弱だった事務局運営を強化しないと続けられないくらいになりました。

朝の番組の取材も受けました(。



さらにもともと頻繁だったテレビ新聞取材もピークに。
わたしだけでなく、全国のだしソムリエに取材が入り、地元で大スターになる人も出てきます。


そうなると、悩み事もピークに。


●お金は入ってくるけど、対応にとにかくいそがしい、、

●お客さんからのクレーム対応に追われる、、

●認定講師の運営マニュアルや契約書も二転三転してこれまたクレーム、、

●先のことを考える時間がない、、

●でも運営体制やエントリーシステムを変えないといけない、、

●誰に相談したらいいのかわからない(いそがしすぎて新しい人に会う余裕もなかった)、、

●側近として一緒にビジネスを考えてくれる人がなかなか定着しない、、

●「だし」を学びたくても、ビジネスとして真剣に一緒に考えてくれる人がなかなか見つからない、、

●データベースの構築するのにお金をかけるが、なかなか意思疎通できず、2社で700万近く損失する、、

●お客さんたちは「完璧に対応して当然」と思っている(気がする)、、
当時の悩みから(^^;)

書き出していてビックリするほどの悩みが、当時はありました。


それでもメディア取材は続き、わたしは2018年頃までは定期的にテレビに出続けていました。


2016年10月には出版もして、コンビニ限定で『THEだし』という本も出版されました(しかし当時のわたしの心境を反映してか、大量に売れ残ってしまいます)

セブンイレブンを除くコンビニ限定販売した。




そして時代は急速に、オンライン化が進み、SNSが多様化し、スマホを使ったコンテンツが支持されようになっていきます。

そんな時代の変化すら、気づけないほど、日々の業務に追われていました。


たくさんの受講生、認定講師が増えてくると、じょじょに、「自分は必要ないんだな」という気がしてきます。
1級講座を作ったとき「自分の役割は終わった」と感じていました。


なぜなら、すでに作った講座なので、あとは、「あるものを回して維持して大きくしていく」スキルが必要になってくるからです。


わたしは、自他ともに認める「ゼロイチタイプ」。
最初に立ちげるのが好きです。


今ではそれははっきりわかるけれど、始めた当時はわかっていなかったので、数年後にどうする、とか、将来のビジョンが描けていませんでした。
あったのは「とにかく新しいものを作りたい!」という気持ち。


なので、立ち上げてブームになった後の混乱のなか、「自分は今後どうしたいのだろう?」と初めて向き合うことになります。

⑥ニューヨークに行き、「和食」を知る。

大変だった時期のことを書きましたが、同時に、国内外問わず、たくさんの地域に旅する機会にも恵まれました。


わたしは「出張」という言葉が嫌いです(笑)。
どこかに行ったら、仕事の目的だけでなく、必ず周辺を探索してきます。


だから、人から見たら出張、でも、わたしにとっては「旅」で「楽しみ」なのです。


かつて、ニューヨークに旅したときのこと。
(これは純粋な旅でした)

だしソムリエ1級で「和食」について伝えようと思ったとき、何を読んでもピンと来なかったことがありました。


公的機関が出している資料には、日本の四季折々の食材を豊富に使い・・とか書いてあるけど、なんか自分で気にはしっくりこなかったのです。
一汁三菜とか、純和風なものだけが「和食」なのか?


それを読んでも、自分の心から湧き上がるような言葉にはなりませんでした。


「とんかつやラーメンや唐揚げは?・・」
「和風ハンバーグとかカレーは?・・」
どこにも書いていない。


それが、ニューヨークに旅しているうちにピンと下りてきたのです

それは・・

「和食」は、海外に旅すると日本人として欲するもの。
それはすなわち「米」「味噌」「醤油」と「だしの香り」。
これらのうち、一つでも含んでいたら、それは「和食」である。
鵜飼真妃の定義

ニューヨークでは、いわゆる和食の店もたくさんあり、かつ丼やうどんやラーメンのお店もたくさんありました。パンやサラダを食べていると、やはり定期的に日本の定食的なものを食べたくなります。


このように、海外に出ることで、日本の良さや特徴が浮き彫りになってきます。
だからこれからも、旅することは続けていき、刺激を受けてインスピレーションを感じていきたいのです。

ニューヨークで食べた大きなホットチョコレート。


⑦乗り越える壁、コロナ・・混沌とした時期を経て。

さて、ビジネスの活動に戻ります。


今思えば、ひと通り講座を作り終えたとき、ようやく「経営者視点」をもてたのかもしれません。
経営者視点、それは、自分が動くのではなく「人に動いてもらう」視点を持つことです。

一時は組織売却も考えたり、色んな可能性を探りながら、2017年暮れにようやく、名古屋の実家がらみで人材を見つけます。

そこから初めて本気で事務局づくりを手がけ、自分が運営の主体から退くまで3年以上はかかりました。


その間、当初は「協会」名称だったのを「アカデミー」に変えたりもしました。
(協会、という名称はよく言えば公的で信頼感を持ってもらえるけれど、逆に言えばそれが足かせになって自由度がなくなったりします。これがなかなかつらかった)

そして、2020年3月からはコロナでリアル開催はできなくなります。


リアルに「だしを楽しむ」ことが支持されていただしソムリエの講座は、オンライン化が非常に遅れていました。コロナ渦で、講座のオンライン化を何とか進めたものの、コロナが明け始めるとやはり、人々はリアル講座に集中するようになりました。
す。

(★)写真は、つい先日「めざましテレビ」で取材されたときの様子です。
写っているのは東京の認定講師の前原さん⬇️⬇️⬇️


現在の自分が思うのは、紆余曲折ありながらも、自分で立ち上げて作って継続してきたものなので、「だしソムリエ」講座は信頼できる人に任せて、見守っていきたいなということです。

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