見出し画像

正しい箸の持ち方

息子が友達とバーベキューをした時、箸の持ち方が違うと気付かれてしまったらしい。

息子は、「正しい持ち方もできるけど、この方が持ちやすいんだよね」と応えたらしい。

すると息子の友人は、

「俺も3年前まではそうだったから気持ちよく分かるよ」と言ってくれたという。

息子はそろそろ正しい箸の持ち方に矯正しようかと呟いた。しかし自己流の箸の持ち方の方が持ちやすいし......と、葛藤しているようだった。

実は私も箸の持ち方は正しくない。

幼少期から強制されることなく自己流の持ち方を貫いてきた。

私も連れと居酒屋へ行くたびに、

「おもしろい箸の持ち方だね」

と言われていた。

だけど私、そう言われたとて少しも気にはならなかった。だって食事は楽しく美味しく食べられればいいと思っていたから。

だから私、

「正しい箸の持ち方できないの。できる気がしないし、する気もない」

と応えていた。

全然、全く気にはしなかったのだけれど、息子が同じように箸の持ち方を言われたなら、教えた私の教育が悪かったのだと申し訳なくなった。

「バーベキューは何人いた?」

「7人」

「7人もいたら正しい持ち方じゃない子も半分はいたでしょ?」

「いや、オレ以外はみんな正しい持ち方だったよ」

私は驚いた。

私という人間が誰かに棒切れ二本渡されて、「これを使って好きに食べろ」と言われたなら、自然と自己流の箸の持ち方となる。

このポジションが私の身体が正直に箸を持った形だからだ。それを疑わずして、外からの正しい箸の持ち方にブレることなくやってきた。いや、正直に言うと一度だけブレたことがある。

オトナになってから、外からの指摘に恥ずかしく思い矯正を試みたことがあった。しかしすぐに、アホらしい! と箸を投げたのだった。

今更直したとて、さほど世界線が変わるほどの変化はないだろう。

ところでいつの時代に正しい箸の持ち方が決められたのだろうか。どうせどこかの誰かが外からの印象に重きを置き、美しく見える箸の持ち方を作ったのではないだろうか。人間の指がどう箸を持てば食の欲求を制限なく満たせる食べ方が出来るのか、それは個々によって違うはずだろう。だのに『正しい箸の持ち方』という基準を定めたXデーがあった。そんな気がしてならない。

正しい箸の持ち方を決めるのはいいが、申し訳ないが私は今まで通り自己流の箸の持ち方で楽しい食事の時間を過ごさせていただく。

箸を器用に扱えるのならそれで充分じゃないか。

私は魚を食す時も自己流の箸の持ち方で魚を頭と骨のみに、一片の身も残すことなく仕上げられる。それは職人レベルの仕事だと言えよう。

私は食べることの楽しみを、食べる手段の箸に奪われたくはない。私にとっての正しい箸の持ち方は、他人が言う『おもしろい箸の持ち方』なのだ。

けれども子供達に対しては、なるべく早いうちに直した方が良いと伝えておいた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?