ユーレカの日々[51] 気がつけば人工知能

初出【日刊デジタルクリエイターズ】 No.4102    2016/04/06.Wed.12:00.発行


最近、iPhoneのsiriをよく使うようになった。登場当初は「使えないなぁ」と
思っていたのだが、コツがわかってくるとかなり使える子だ。

一番使うのは、アラームの解除。

朝、起きるのがとても苦手なので、iPhoneのアラームを時間差で4~5個セットする。ところが起きてから、これを解除するのがとても面倒なのだ。

時計アプリを起動し、アラームタブをタップ、スクロールしてONになっている設定を全部オフにしなくてはならない。

あるとき、ふと気がついて「すべてのアラームを解除して」とsiriに頼むと、
全部まとめて解除してくれた。なるほど、これは使える。電話も便利。

「○○の携帯に電話」と頼むと、一発でかけてくれる。これも当初、複数番号がある人にかけるのがどうすればいいのかわからなかったのだが、「携帯に」「自宅に」など、連絡先での設定を言えばいいとわかると、歩きながらでも簡単に電話ができるようになった。

Appleが「あなたの望み、かなえます。何でも話しかけて下さい」などと言うから、惑わされる。siriが出来ることは、基本的にiPhoneの「操作のアシスト」。だからwifiの設定など、何度もメニューをたどらないとならない画面を出すのは得意。

わかってしまえばなんのことはない、キーボードショートカットみたいなもんだ。便利便利。

●なぜか出来ないアプリの操作

ここまで出来ていて、なぜ出来ない? と思うのが、アプリ内での操作だ。

Appleの純正ソフトでは多少できるが、ほぼ全滅状態。自動操作となると、セキュリティの問題もあるだろうが、そもそも使い方として想定されていない感じだ。

たとえば、メーラーにOutlookを使っているが、これの操作ができない。iPad
Proとなると、ますますアプリ内の操作がしたくなる。

スケッチアプリで「消しゴム」とか「さっき使ったオレンジ色」とか音声で指示できれば、キーボードショートカットがないiPadでの操作は、かなりはかどるはず。

次のMacOSにはsiriが搭載されるというウワサがあるが、標準アプリだけだと、ありがたみが薄い。

IllustratorやPhotoshopでこそ、音声操作が欲しい。「レイヤーをオフ」、と
か「背面に送る」とか「選択領域を反転」とか「スタイルパネル開いて」とか。

よく使うのならキーボードショートカットの方が便利だが、たまに使う、しかもメニュー階層が深いコマンドは、音声が圧倒的に便利だろう。今すぐ欲しい。

●家電製品にこそ欲しい

こういった操作の音声アシストは、一般の家電にこそ有効だ。たとえば電子レンジ。お弁当を3分30秒あたためるのに、うちのレンジでは「加熱」「1分」を3回、「10秒」を3回と、ボタンを7回も押さなくてはならない。

ビデオで録画予約をするときも、何度も何度もリモコンのボタンを操作させられる。特に機械の操作が苦手な高齢者向き製品には、さっさと搭載すべきだ。

「音声で使い方を教えてくれる」「ボタンが光って教えてくれる」というのはよく見かけるが、いや、年寄りは操作が苦手なんだって。

しかし、もしそれらが製品ごとに音声アシストが搭載されると、今度は別のイライラが生じそうだ。

「冷凍チャーハン一人分、暖めて」
「私には暖め機能はありません」
「いや冷蔵庫君、君には言ってないし」

という、コントのような状況が発生する。家電それぞれのAIアシストが仲が悪くてケンカし出して、というSF小説があったような気がする。

実際、iPhoneとiPad両方ある状態で、siriに話しかけてみたら、両方が反応し
た。「どっちがsiri?」と聞いてみたら「決めるのはあなたです」とのたまっ
た。やれやれ。

●すべて面倒みてくれ

すべての家電をiPhoneのsiriで操作する、というのはどうだろう? 電子レン
ジにではなく、iPhoneのsiriに「レンジをあたため3分半にセットして」と命
令すれば、そういった混乱はなくなる。

iPadとiPhoneのsiriは別人格では困る。つまり、siriはデバイスに付くのでは
なく、個人に付いた方がいい。

となってくると、映画アイアンマンに出てくるコンピューター「ジャーヴィス」が、かなり理想型だ。主人公トニー・スタークが世界中どこにいようが、しゃべりかけるだけで様々なことをやってくれるコンピューターだ。

最初のアイアンマンでは、ジャーヴィスは、アイアンマンスーツのインターフ
ェイスとして登場した。スーツの状況を逐一報告し、武器などの操作をアシストしてくれる。

3ではより活躍の場が増え、主人公が世界中どこにいても、トニーの行動をアシストしてくれる、有能な、そして人間くさい魅力的なキャラとして描かれている。

調べてみると、原作では、ジャーヴィスはコンピューターではなく、主人公
の家に代々仕える人間の「バトラー(執事)」だそうだ。映画でコンピューターとして翻案されたらしい。

なるほど、バトラーか。アシスタントと執事は随分違う。

●アシスタントよりバトラーがいい

アシスタントは、いちいち仕事のしかたから教えないと使えない。だからこちらが知っていること、できること以上のことは基本的にやってくれない。

イギリスのバトラーは本来、給仕と、酒・食器の管理が仕事だそうだが、サンダーバードのパーカー、バットマンのアルフレッドなど、映画やマンガで描かれるバトラーは皆、主人の仕事・生活全体をサポートする、頼りになる存在として描かれる。

特殊技能を持ち、時にはアドバイスをしてくれ、でもでしゃばらない。

もし、siriがあらゆる家電もコントロールしてくれるようになった時、主人が
電子レンジに猫を入れて「温めろ」と言ったら、siriはどうするだろうか?

今のsiriなら、チンしてしまうだろうが、アイアンマンのジャーヴィスなら
「わたしをからかっているんですね」と、そういう対応をしてくれるはずだ。

アシスタントとバトラーの違い。この差は何だろうか?

●EQ(Emotional Quotient)とはなにか

最近知ったのだが、心理学でEQ(Emotional Quotient)というモノがあるそうだ。IQが知能指数であることに対し、EQは心の知能指数と言われ、個人の心理、行動を測るモノサシらしい。

相手の意図を読み取れるのか。行動の先読みや波及効果をどこまで予測できるのか。それに加え、自分の状態の客観視、感情のコントロールなどをまとめて、指数化するということらしい。

ネット上にいくつも、EQテストがあるのだが、それを見てると、EQが高いキャラクター像は、相手の意図や立場、気持ちを察して行動できる、ということのようだ。

なるほど。たとえば、役人は堅物で融通が効かないイメージがある。

「税金の□□控除はどうしたらいいんですか」というような質問に対し「どこどこの部署で聞いてください」「こちらに書いてあります」とたらい回しにされるイメージがある。

こういう反応をする人はEQが低い。答えは間違いではないが、相手の立場をまったく考慮していない。

これに対し、デパートの案内などの対応はEQが高いということになる。

相手の様子を見ながら「なぜそうしたいのですか?」と、行動の前提を確認し、「それならこういう方法がありますよ」と複数の可能性を提示、さらに「ここが判断のポイント」と判断のアドバイスまで行う対応が、EQが高いということになるだろう。

ぼく自身、大学の教員を長年やっていて、経験上、学生の質問の90%は、質問そのものが間違っているということを知った。

「Illustratorでトンボをつけるのはどうするんですか?」というような質問
に「こうすればいいよ」と答えるのは、教員として未熟である。

「こういう場合にはこう、こういうやり方もある」と機能を片っ端から説明するのもダメ。

「なぜそうしたいの?」と聞いてみると、そもそもトンボを付けることが、その学生が抱えている問題解決にはならない、間違った判断であることがほとんどなのだ。

学生は知っている知識の幅が狭い、経験が薄い、質問の仕方に慣れていない、自分はその学生のことをよく知らない、という前提に立てば、より的確なアドバイスができる。

どうやらEQとは、そういうことを数値化するものらしい。

だから優秀な営業マン、店員は、EQが高い、ということになる。バトラーはその代表格だ。siriのようなデジタルアシスタントが、ジャーヴィスのようなデジタルバトラーになるためには、人と接するためのEQの獲得が必要、ということになる。

今現在でも、AppleWatchのように持ち主の代謝をモニタする技術や、笑顔を認識するカメラがある。デジタルアシスタントがEQを持ち始めるのに、それほど時間はかからないだろう。

●人のEQは上がるのか

気の利いたデジタルバトラーがだれにでも手に入る。生活は便利になるかもしれないが、これはとても危険なことのように思える。

EQについて調べてみると、本来の心理学以外では案の定、企業の研修や就職支援、自己啓発というジャンルでよく使われている。

企業の採用担当者は、言われたことしか出来ない社員より、相手の立場にたって考えることができる社員を採用したいと思うのは当然だろう。

その時、EQというのはとても便利そうだ。しかし、もし、EQが就職採用の指標となってくれば、アスペルガーと言われる人はどうなるのだろう。

アスペルガー症候群は、「言葉通りに受け取る、あいまいな言い回しが苦手」「他人との距離をうまく保てない」などがよく言われるが、実際は幅が広く、また軽度~重度まで様々らしい。

アスペルガーとか、発達障害という言葉は、大学にいると、とてもよく耳にする。学生本人や親がそれで悩んでいるというケースも多い。

実際、そういわれる人と接してみると、片寄りはあるが「多少、変わった人」程度のことで、ごく普通のことのように思える。そんなことよりも、ずるさや、悪意を持った人の方が、よほど組織や仕事において、悪影響を及ぼす。

「プロチチ」(逢坂みえこ)というマンガでは、アスペルガーの男性が仕事をクビになって、専業主夫とパート仕事の現場で悪戦苦闘する様子がコメディタッチで描かれる。

そして、彼を周りが理解していくことで、主人公も精神的に自立していく様子が描かれている。

主人公は自分が社会でうまくやっていけなかった理由を知り、知識と理屈で対処していく。まわりの人間は、彼が言葉の裏を読めないことを、個性と認識し、受け入れていく。

実際、EQというものを後天的に高めることができるのかどうか、ぼくにはわからない。先の学生への対応のように、限定した仕事であれば、トレーニングである程度「応対スキル」を向上させることはできるだろう。

しかし、アスペルガーのように、後天的に高めることができない人がいるのは事実だ。

今だって企業は「明るくほがらかな人を求めます」になっている。みんな、就職したいからそれに合わせようと、少しでも印象をよくしようとする。美術大学に来る学生の半数は内向的だから、みんな苦労する。

EQという指標は、人によって違うということを知るのにはとてもよい考え方だが、それを高めようとか、他人を判断する基準にしようとするのは、とても危険なことに思える。

プロチチで描かれているように、それは個性であって、EQが高いなら接客業、EQが低いなら他の能力を活かせる仕事、と適性を考える指標にするべきだ。

限定された業務であれば、プロチチで描かれているように、対処できることも多い。企業や職場が「できるのが当たり前」から「できない人もいるのが当たり前」に考えをシフトし、組織や仕事を見直すべきだ。

●機械のEQの方が人より高い世界

デジタルバトラーをだれもが持てる時代は、いつでも傍らにEQが異常に高いバトラーが居る状態だ。なんでもわかってくれるデジタルバトラー。それは本人には心地良く、持ち主の苦手をフォローしながら、能力を高めてくれる。

しかし、その時、人は、自分以外の人間をどう捉えるのだろう?

気が利くバトラーとばかり付き合っていると、生身の人間の話が通じなさ、気が利かなさがより、際立ってくる。そこで他人とのコミュニケーションもバトラーを通して、となってくる。

お店で店員が、利益率の高い赤い服を売りつけようとする。店員のバトラーは「この赤がとてもお似合いですよ」と相手の立場に立って、セールストークをしてくる。客のバトラーは「この店員は自分のノルマ優先で考えています」と客にアドバイスする。

うーむ、まわりまわって、なんだか、何も変わらないような気がする。本人の対人スキル、EQはどんどん下がりそうだ。

しかしまぁ、そういう時代では、社交性、社会性を求められる、今のホワイトカラーの仕事のほとんどは、存在する意味がなくなっているはずだ。

ブルーカラーの仕事が機械化により減ったのと同じように、デジタルバトラーが一般化すれば、ホワイトカラーの仕事も激減するだろう。

いやがおうにも、AIとどうつき合っていくのかという時代にすでに突入している。そして、それはデジタルゆえに、今までの産業革命などよりずっとはやく、社会を変えていくことになるだろう。

とりあえず、Photoshopのコマンドを実行してくれるまではさっさと実現して
ほしいが、中途半端な知識でデッサンが狂ってるだの、配色が悪いだの言うのは、当分は勘弁してほしい。


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