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ユーレカの日々[21]愛しのソニー/まつむらまきお

初出:日刊デジタルクリエイターズ 2013年04月03日 ソニーが社名を「ソニーグループ」に変更するという報道があった(2020年5月)。ソニーはもう、家電メーカーではない、なにか、ということなのか。

1969年か70年、大阪で万国博覧会が開かれた頃の話だ。父が海外に視察旅行に行くことになり、その取材のために一台のテープレコーダーを買ってきた。

当時ぼくは小学校3年生くらい。カセットテープレコーダーというモノは知っていたが、その真っ黒でコンパクトな製品は、身の回りにあるどんなものとも似ていなかった。

ソニーカセットレコーダー「TC-55」。ソニー好きの人なら、この型番にピンとくるだろう。「55」はトランジスタラジオTR-55を祖先とし、革新的なポータブル製品にのみ冠せられる、ソニーの誇り高き型番だ。

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極力、凹凸をなくしたアルミのボディ。美しくフラットな面と対比するように、側面には小さなスイッチやメータがギッシリと並ぶ。

単三乾電池4本を収納する部分はカートリッジ式で取り外せ、予備のバッテリーと速やかに交換できる工夫がなされている。つや消しの黒い立方体は手に持つとずっしりと重い。

その存在感は比類なきものだった。当時の家電品は、子どもの目で見てもパーツの寄せ集めであり、その仕組が見て取れる素朴なデザインが主であった。それに対しこのTC-55は、複雑なパネル分割、整然と並んだスイッチ類、その埋め込みや化粧のディテールなど、今見ても完成度高いデザインだ。

まるで未来からやってきたような道具。まるで魔法で作られたかのような道具。

ぼくはこのレコーダーに夢中になった。何かを録音できるという機能よりも、その美しい形と、そしてたくさん並んだボタンを操作することに夢中になった。開閉部分や取り外し部分を何度も何度も動かして遊んだ。

なぜこんな形なのか。何でできているのか。どんな仕組みなのか。気になってしょうがない。

今ならわかる。ぼくはその時、恋に落ちたのだ。

追記:採録にあたって、手元に保存してあった本体を出してきて撮影したのだが、なんと、TC-55ではなく、TC-1000って書いてある。えええっということでググってみたところ、どうやら海外型番がTC-55だった様子。元の原稿を書いた時、本体が手元になく、画像検索でTC-55と思い込んでいた。

●募る恋心

うちの父もソニー好きだったので、このレコーダーをきっかけに我が家にソニー製品が徐々に増えていった。

家電品としてのソニーのイメージは「生活臭さがない、プロっぽさ」だった。洗濯機や掃除機などなんでも作る松下や東芝とは違い、ソニーはテレビやラジオといった音響製品しか作らない。そのかわり業務用製品も作る。テレビや雑誌でみかける、プロが使う機材にはいつもソニーのロゴが光っていた。

家庭用の製品でも、無駄のない機能的なボディに高級感のあるディテール。それは他社とは一線を画す存在だった。

そして、その中に詰まっているとてつもなく高性能な品質と、常に消費者を驚かせるアイデア。

たとえば1972年に発売されたラジオ「スカイセンサー5500」はただラジオを聞くという単一機能なのに、ダイヤルやメーターが所狭しと並ぶ。そのプロっぽいルックスに、FMトランスミッターを使ったトランシーバー機能という、あまり実用的とはいえない、遊びのための機能を備えていた。

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人に例えるなら、群を抜いて垢抜けた、完璧なスタイル。仕事を完璧にこなしながらも、楽しさを忘れない。それでいて、不要な派手さや押し付けがましいところがない、知的で上品な人。

僕はますます、ソニーへの恋心を募らせていった。

●自分だけのソニー

初めて自分だけのソニーを手に入れたのは中学生の時だ。ラジオカセット「スタジオ1780」というモノラルのFMラジカセだった。

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当時、中高生の間ではラジカセが大流行していた。音質のよいFMラジオを自分の部屋で聞ける、それを録音し、何度も繰り返し好きな音楽を聞ける。

今のようなレンタルもダウンロードもない時代では、ラジカセは今の若者にとっての無料動画サイトと等しい存在だったのだ。友だちのラジカセと二台つないで、ダビング(コピー)編集をしたり、いろんな音を録音して遊んだ。

そして高校時代に手に入れたウォークマン。スピーカーも録音機能もない、そのかわりコンパクトで、ヘッドフォンからのステレオ再生が可能。外でも、部屋でも、寝るときも、いつも音楽と一緒に居られる。まさにソニーとの蜜月だった。

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ラジカセ〜ウォークマンで若者の心をつかんだソニーは、それまでのビジネス・高級路線から、徐々にカジュアル路線へと変わってゆく。ウォークマンで常識を打ち破ることに自信を持ったソニーは、他社がどこも思いつかないような製品を発表してゆく。

中でも印象的だったのが、大学時代に買った、レコードプレイヤーのフラミンゴ(PS-F9とPS-F5 1983年発売)。

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レコードというのはCDと違って、水平なところで回転させ、その上の溝を針がトレースして音を拾う。だからプレイヤーはとても場所をとる代物だった。

ところがこのフラミンゴという機種は、リニアトラッキングという再生アームを採用し、なんと立てた状態で使えるのだ。しかもレコードは本体からはみ出すようになっている。その結果、本体の専有面積は10cm四方程度。それまでのプレイヤーの1/10以下の占有面積という、驚異の小ささだった。背面には壁にかけるための穴があり、実際、下宿の柱にかけて、使っていた。

そんな風にソニーはいつでもぼくを驚かせ、楽しませてくれた。いつでもどこでも、ソニーと一緒だった。

●はじめてのパソコン

ちょうどそのレコードプレイヤーが出た頃。大学の研究室で初めてパソコンに触れた僕は、自分のパソコンが欲しいと思い始めていた。大学ではどうしても使える時間が限られる。しかし当時のパソコンは安いものでもモニタなどを含めると20万円代。とても高価で、とても手が出るものではなかった。

ようやく貯めたお金で買えたのがテレビと繋いで使えるソニーのMSXパソコン、HB-101(1984年)だった。松田聖子の「人々のヒットビット」というCMで有名なこのパソコン。流線型に鮮烈な赤という、ソニーらしいデザインだった。

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ところがこのHB-101、見た目はいいのだが、実際はキーボードがフニャフニャで、ガシガシとタイピングできるようなシロモノではなかった(持ち運ぶハンドルが付いているが、実際はコンセントに繋がないと起動しない)。

MSXという規格は、ゲーム機&パソコン入門機という位置づけだったため、キーボードは安価なものだったのだ。

MSXは、マイクロソフトとアスキーが開発提唱した、入門用パソコンの規格だ。当時、ソニー以外に松下、三菱、三洋、東芝、日立など、日本のほとんどの家電メーカーがMSXパソコンを発売していた。

今のWindowsと違い、当時のパソコンでは拡張できることが少なく、また、メーカーも家庭でパソコンが何の役にたつのか、模索中だった。だからどのメーカーのものでも「できること」はほとんど変わらなかった。

もちろん、それまでのラジカセやウォークマンも、他社とソニーでできる事はほとんどかわらない。同じ規格の電波、カセット、レコードを再生できた。

だからこそ、ソニー製品には機能ではなく音や絵という基本性能、モノとしての存在感を求めてきた。

それまでのラジカセやウォークマンの、カチッカチッと切れの良い操作感からあまりにもかけ離れたMSXの触感は、なんだかソニーにだまされたような、恋心が醒めたような気がしたものだ。

●最後の蜜月。ハンディカムの時代

ぼくが社会人になってしばらくした頃、パスポートサイズのハンディカムCCD-TR55(1989)が登場する。

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家庭用ビデオ規格、ベータマックス対VHSの戦争では、すでにVHSに軍配があがっていた。ソニーの大きな敗北だったのだが、次の戦場はまだほとんど未開拓だった家庭用ビデオカメラ市場だった。

互換性重視のVHSーC規格と、まったく新しいフォーマットの8mmビデオ。当時まだどちらの陣営も決定打を出せずにいた。

マジックナンバーの祖、トランジスタラジオ「TR55」と全く同じ型番を冠したこのビデオカメラは、驚異的なコンパクトさと、大型機と変わらない高性能を実現していた。

TR55は一瞬でこの戦争に終止符を打つ。だれにでも一瞬で理解できる、コンパクトさと高性能。まさにソニーにしかできない大逆転だった。

個人的には、その後出たDV方式のパスポートサイズDCR-PC7(1996)が大好きだ。これぞソニー、というスクェアなデザイン。無骨なTR55は道具としてあまり思い入れがないが、DCR-PC7には心底惚れた。

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後継機のDCR-PC10(1997)では、カール・ツァイスレンズを搭載。このカメラは我が家で未だ現役である。

この時期ぼくはごく当たり前のように、ソニーとつき合ってきた。CDオーディオも、ポータブルCDも、カラーテレビも、まだ何も迷うこともなく、ソニーを選んだ。ワープロ専用機「PRODUCE PJ-200」(1987)も買った。どの商品も持っていること、部屋に存在していること、触りまくることが喜びだった。

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幸せな時代だった。それぞれの製品は基本的に、単純な目的で作られた装置たち。実用目的というよりも、使うという経験が新しかった時代。

デジタルという新しい波が生活にも徐々に押しよせてきているのに、まだそれが、昔ながらの道具と同じだと考えられていた時代の話だ。

●遊びを覚えたソニー

雲行きが怪しくなったのは、その後だ。PlayStationのヒットを皮切りに、ソニーはがらっと変わってゆく。

1994年 PlayStation
1996年 サイバーショット
1997年 VAIO
1997年 メモリースティック
1999年 AIBO
2000年 PlayStation 2

PlayStationは1も2も買った。たしかに革新的だったし、PS2はデザイン的にもソニーらしい、隙のないすぐれたデザインだった。

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ジャンピン・フラッシュや塊魂で遊びながらも、どこか心の片隅で、これがソニーとつき合っているということなんだろうか、と常に違和感がつきまとっていた。

あの生真面目なソニーがいつのまにこんな遊びを憶えたのだ? これは僕が知っているソニーなのか?

まるで憧れていた勉強のできる素敵な同級生が、ある日突然けばけばしいアイドルとしてデビューしたような(そんな経験はないが)違和感だった。

この時期からぼくは徐々にソニーが嫌いになっていった。

1997年以降、ソニーの製品はVAIOという母艦と、メモリースティックという独自メディアを中心に展開されるものばかりになっていった。

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デジタルウォークマンのようにMacでは使えない商品が増え、他社の機械でそのままでは使えないメモリースティック製品があらゆるものに搭載された。AIBOに至っては、なぜソニーがそんなものを売るのか、まったく理解できなかった。

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孤高のブランドであるのは構わないが、ユーザーの囲い込み戦略ばかりが鼻につく行動。

知的で上品だった彼女が、ある日突然化粧も服も派手になり、取り巻きを連れて遊び回り、ヒトをあざ笑うような態度をとるようになった、とぼくの目にはうつった。それまで目もくれずソニー製品を選んできたぼくは裏切られたような気分だった。

今にして思えば、浮気したのは僕の方なのだ。ソニーだけを信じて、ソニーの製品だけを買い続ける道もあったのかもしれない。

その頃夢中だったMacはソニーと似た女...いやプロダクトだったけれど、中身はじゃじゃ馬娘、すぐにヘソを曲げる頑固者だった。

それでもMacが語る新しい世界は宗教にすら似ていて、それまでソニーしか知らなかった僕にとってあらがえない魅力に満ちていた。

我が家からは徐々にソニー製品が消えていった。テレビやオーディオ、コンピュータも買い換える時、ソニーを真っ先に選択肢からはずした。

まさに「もう顔も見たくない」絶縁状態。それが8年ほど続いた。

世間的には、ソニーが人気絶頂のアイドルとして君臨していた時代だ。それまでパソコン界で女王だったNECを蹴落とし、ゲーム界で女王だった任天堂を蹴落とし、世界の女王として輝いていた。だけど、そのワガママな態度からだんだん友だちを失っているように僕には思えた。

●堕ちていく女王

そして2001年。AppleからiPodが発売される。

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MDやメモリースティック、著作権保護の仕組みに固執したソニーは出遅れ、ついにはiPodにポータブルオーディオの王座を明け渡すことになる。

それが契機だったのか、ソニーはテレビやビデオの世界でも、輝きを失っていく。液晶テレビはシャープ、ビデオやカメラはキヤノンや松下。コンピュータはDELLやMacBook。

ちょっとしたボタンの掛け違えだったのだろう。聞こえてくるソニーのウワサは、ひどくうらぶれた様子ばかりになっていった。

2008年。テレビで流れていた矢沢永吉のCM「せっかくのハイビジョンテレビ、Blu-rayじゃないともったいない」というCMがひんぱんに流れた。ぼくはあのCMが虫酸が走るほど大嫌いだ。

DVDでなく、Blu-rayレコーダーならもっとキレイに録画再生できますよ、というメッセージ。よく解釈すれば「矢沢自身が反省している」とも取れるが、僕には上から目線で消費者を無知扱いしているように聞こえる。消費者の不安をあおっているように聞こえる。

「矢沢自身が反省している」のであっても、それをソニーがCMでやらせている、という構造は、なんて上から目線なんだろう。

なぜ、消費者を不快にさせるようなCMを流すのか。
なぜそれを矢沢永吉にさせるのか。
なぜこのCMが人を不快にさせていると気が付かないのか。

それはまるで、敗北が見えていることに気がつかない独裁者の演説のように聞こえた。「堕ちるところまで堕ちたな...」こういったことしか考えられなくなったソニーを哀れにすら感じた。

先のCMを放映していた最中に、リーマン・ショックが起きたのがとどめだった。ソニーの業績はどん底になった。いくらもがいても、脱出できない、まさに泥沼にはまってしまっているようだった。

●まさかの再会

それから2年たった2010年、使っていたパイオニアのビデオレコーダーが不調になった。修理をすることもできなくはないが、一年たてばアナログ放送は終了しこのレコーダーでは視聴ができなくなる。ならばもう、デジタル放送対応のレコーダーに買い換える潮時だろう。

色んなメーカーを検討する中で、意外な事にソニーが浮上してきた。利用したい幾つかの機能のすべてを満たすのがソニー製品だけだったのだ。

これには悩んだ。あの嫌なCMの商品そのものである。別れた女とどうしても会わなければならないような複雑な気分。

もしここでソニーと再会してしまえば、いずれ買い換えるテレビもその連動性からソニーを選ばざるを得ない。もし、その再会が不愉快なものになれば、その先何年もその状態が続くことになる。

彼女、いやソニーが変わった、という兆しがあることは耳にしていた。iPodのための周辺機器をソニーがコツコツと、ひっそりと販売していたのだ。

もう、あの嫌なソニーではないのではないか。未だつまらない意地をはって、iTunesに楽曲を提供していないけれど、それでも、更生してくれる兆しは見えているのではないか。

散々悩んでいた時、あることに気がついた。検討にあがっていたレコーダーには、カメラからの画像取り込み機能があるのに、メモリースティックの差込がないのだ。

ソニーのユーザー囲い込みのシンボルともいえる、メモリースティックのスロットがなく、カメラを直接ケーブルでつなぐUSBポートがついているのだ。

どういうことだ? あれほど自分の我を押し通そうとしてきた女が、それを捨てている。あのCMから2年。その間に一体何が起きたのだ?

メモリースティックのスロットがない。ただその一点に一縷の望みをかけ、ダメならオークションで売り払う決意でまずはそのレコーダーを買った。

地味な箱。地味な製品。それが第一印象だ。控えめなその製品は、初期不良もなく、あたりまえのように仕事をした。時折、わけのわからないことを言って来たが、恐れていた大きな混乱もない、素直なヒトになっていた。

付き合ってみて、いや、使ってみて驚いたのは、予約機能だ。あれだけMac、Apple製品を頑なに拒み続けていた彼女...いやソニーだったのに、このレコーダーの予約はiPhoneからでもできるどころか、パソコンからの動作保証環境にもしっかりと「Safari」が上げられている。

さらにこのWEBサービスを利用するのに、ソニー独自のIDを要求してくるのではなく、普段使い慣れているGoogleのIDでいいと言うのだ。

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しかしまだ、油断はできない。まずは小さなテレビを買うことにした。この娘、いやテレビにも、メモリースティックスロットがない。

二人、いや二台はすぐに連携し、こちらが操作に煩わされることなく、黙々と仕事をしてくれた。

もう大丈夫だ。ぼくとソニーは和解した。

●そして、愛と平穏の日々

8年ぶりのソニーとの平穏な生活が始まった。

アナログテレビが停波した2011年、もう一台、中型のテレビを買い換えた。もちろんソニーの製品だ。そしてまた先月、我が家に新しく二つのソニー製品が仲間入りした。

コンパクトカメラのサイバーショットRX100は、あのカセットコーダーTC-55を思わせるパネル面とパーツ密度のバランスが絶妙なデザイン。キュートなトランジスタグラマーだ。

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この子のためのパソコンソフトは、すべてMac版が用意されている。メモリはメモリースティックとSDカードのコンパチブルスロット。もう、あの頃のソニーではない。

もう一人はカーナビ「ナブユー」。この子は可哀想な子で、昨年、先がないという宣告をされてしまった事業の最後の一人だ。メモリースティックのみを受け入れる身体と、Windowsでしかメンテナンスできない心を持つこの子を、ネットオークションであえてひきとったのは、もしかしたらこの2年の間になにが起きていたのかを知りたかったからかもしれない。

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今やCMすらほとんど見かけなくなった、ソニー。数すくないCMの中に、ローラと山下真司のトンチンカンな会話のBlu-rayレコーダのCMがある。


一見、おちゃらけた表現だが、よく見てみればただまじめに製品の機能を説明している。ユーザーにとっての利益を説明してくれている。

もう大丈夫だ。もう大丈夫だよ、ソニー。

ぼくは今、ソニーを愛している。

追記:これを書いた翌年、Blu-rayレコーダーをSonyのものに買い替えた。考えてみればその後6年間、ソニー製品を一度も買っていない(Playstationですら、2以降買っていない)。品川に数多くあった不動産を売却というニュースを聞いた。あ、自動車保険を一時sony損保にしていたが、今は別の企業に変えてしまった。
今や、ブランド力があるのは、カメラ(α...ミノルタやん)と、playstationくらいか。
それでも、名も知らぬメーカーのwebカメラのカメラユニットがソニー製と聞くと、ときめいてしまうのだ。


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