棲家としての身体
「ごめんなさい
今体調不良で
明日キャンセルかも
また連絡します」
大事な約束をドタキャンしてしまった。
心拍数が上がっている。あやふやな身体でも携帯の画面をタッチすれば、正しく漢字に変換されてメッセージが送れる。
滅多に行かない病院へ向かう軽トラの助手席でよその田畑の具合を眺める余裕なく約20分の道のりをひどく長く感じた。
待合の椅子で身体を丸めて横になってしまう初老の姿を見た看護師さんが速やかに点滴室へ誘導してくれた。またたく間に、身体に細いチューブが繋がれ気がつくと2時間も経っていた。
「起きれますか?」
「はい、大丈夫です。」
助けてくださって、ありがとうございました・・本当に。
「念の為、明日もう一度来てください。」
暗がりの中、帰路は嘘のように平常心だった。約束していた友達には、明日また連絡しよう・・。
翌日は24時間心電図をとるため、胸にペタペタと解析装置を貼り付けて帰宅。丸一日、身体のドキドキを記録されている。奇妙である。雨のため田畑にも出ず、おとなしく過ごした。
終了して装置を外すと、貼り付けたテープのおかげでお腹にミミズ腫れができた。ちょっとした記念スタンプのようだった。
解析の結果を忘れた頃に聞きに行く。思っていた通り心臓に目立って大きな問題はなかった。おそらく自律神経の一時的な不具合だろう。
心の棲家としての身体。たくましくも儚い。複雑な森のように一瞬一瞬にバランスを保っているところ何かの拍子でほろりと崩れる。それもある均衡を保つための現象であったりする。
心臓の先生の眼差しは心電図に向けられているけれど、心の棲家、私の身体。二ヶ月分 ( ! ) のお薬を、と言われたが、(前回いただいたお薬がまだあるので)不要です、と伝えた。無用にお薬を増やしたくない旨、理解してくれた。
夜にゆっくりと詳細な血液検査の値や見たことのない専門用語を調べていると、日頃の「動く(おどる)身体」の自覚とは全く違った目線を知ることとなり、それは逆に興味深かった。
野良仕事の目まぐるしい時季を過ぎたら、この際「ニンゲンドック」で棲家の点検でもしてみるか否か。
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