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the Odyssey その6

2021年12月
 師走はいつも慌ただしく過ぎていくが、この年も例外ではなく、思い返してもあまり記憶が残っていない。録音ソフトの保存日時を見返すと、どうやらデモ作りが佳境で、とにかくPCと自分との間でアイディアの反芻を繰り返しているようだった。そんなデモ作りも28日にケイタロくんにまとめたものを送っていたので、どうやら完成したようだ。
 ケイタロくんはベーシストで、まだ出会って間もない。5月にあだちさん宅でお刺身パーティーにお呼ばれした時に、初対面の子供たちとも気兼ねなく遊んでくれる人なつっこさと、立ったり踊ったりお行儀の悪さを放っておいてくれる距離感のどちらも自然で、バランスの取れた人だなと思った。その日は世間話をしたり、連絡先を交換したり、できたばかりの前作のCDを渡したり、和やかに過ごしたのだが、そのあと(翌日だったか?)好きな食べ物を言い合う遊びをしていて、その場にいた人たちが鶏卵とかコロッケとか言い合う中、牧野さんは?と聞かれたので、(結婚前に奥さんが務めていたお店ではパスタが売りで、今でも家で良く作ってくれるんだけど、それが美味しいんだよねえ)「えっと、ツナと高菜のパスタ」と答えた。察しの良い方なら気づかれたと思うが、これはそういう遊びではない。たまご!とか、ぎょうざ!とか、もずく!とかせめてナポリタン!とか。それおいしいよねー!と共感を呼びやすい食べ物を提示し、その場にいる人同士の共通項を見つけ出すのが正解であり、ここあまりにパーソナルな思い出と繋がるツナと高菜のパスタを出してしまった時点でゲーム終了なのである。その後にどんな食べ物を言っても場が白けてしまうのだ。その時にケイタロくんが、そりゃあんな音源できるわけだ、と言ってくれて。笑 絶妙なセリフだなと思った。暗黙のルールをさりげなく伝えつつ、非難するほど強い言葉でもなく、かつ過ぎた事を洗い飛ばしている感もある。相手を傷つけずに指摘する、という事ができる人。本人にそんなつもりがあったのかどうかは分からないが。
 そういう人柄を知れる出来事があり、AppleMusicで聴いたケイタロくんのソロのアルバムも素晴らしかったので、人となりと音楽の両面に惚れ込んで、レコーディングを打診した。いつものことだが依頼に至った経緯や予算が少ない事などでついつい長文になってしまったメールを、伝わりますように!と、祈りを込めて送信すると、たった15分で「もちろんやりましょう!」と返信してくれた。かくして生まれて初めて自分の曲を、バンド形式でレコーディングする事になった。予定は1月。今でもまだ、予定が決まった瞬間に武者震いした感覚を思い出す。
 この年の年末、Hei Tanakaの遠征やライブが飛び石でいくつか続き、家にいられる時間が不確定だったので、妻と子供は先に帰省する事になった。ライブの合間の2日ほどを自宅で一人で過ごし、家事と育児に追われずいろいろなことを考える時間になった。夫一人で家計を支える時代ではなくなったとは言え、家族を養っていくためにはお金がいる。そのために曲を作ろうと思い立ったこと。それは歌で、自分で歌おうと決めたこと。辛いことも苦しいことも避け難く訪れるが、どんなことが起こっても楽しんで生きられる、その背中を子供に見せたいと思ったこと。自分の表現を仕事にして生計を立てる、その覚悟を決める時間だったと思う。自分一人の暮らしを良くしたいだけではここまで強い気持ちにはならなかった。家族のありがたみを強く感じる時間だった。
 自分が保育園に通っていた30数年前から、ヒーロー戦隊ごっこは遊びの定番だった。皆レッドを演じたがっていたが、僕は敵役の方を率先したやりたがった。ボスでもモブでも構わない。大事なのは死ぬとわかっている自分がいかに満足して死ねるか、だった。
 正義を振りかざすのは簡単である。大きな声とジェスチャーでポーズを決めて、必殺技を繰り出し、その時相対する敵を倒し、爆破すればいい。しかし敵にもそこに至るまでの人生(怪物生?)がある。人間誰しも持っている恨みや苦しみ、欲望が彼らを怪人に変えたのだ。人ならざる者に姿を変えてまで手に入れたかった欲求を、叶えられないまま爆破される彼らのことを思うと、いたたまれない気持ちになった。だから、倒される時は、誰にも聞こえないように、最期の言葉を呟いて死んだ。それは自分の家族の幸せを願う言葉だったり、姿を変えてしまったことに対する親への懺悔だったり、果たせなかった夢への憧れだったり、作り上げたかった理想郷の幻を見たり、様々だった。それはモブでも同じである。戦闘に駆り出され、画面に現れ、倒され退場するまで数秒であっけなく倒される最期。彼ら一人ひとりの死を演じ、追体験することで、彼らの人生に寄り添おうとしていた。この時の、人生の最初の記憶に近い思い出が、今の歌いたい気持ちの根底にあると思う。
 この世に生きる誰もが主役なのは多くの人が頷いてくれると思う。でも現実に、そう思えることの難しい境遇で生きざるを得ない人もいる。そういう人たちに向けて歌えたらと思っている。

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