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the Odyssey その5

2021年11月
 このあたりから、具体的にアルバムという完成形を意識し始める。録音とドラムを手伝ってほしい旨をあだちさんに伝えて、「いいよー」と返答をもらってからは、自分が担当できる楽器以外を人に演奏してもらう想定で、デモ作りに取り組み始めた。打ち込み、と呼ばれる作業で、パソコンに入れてある録音ソフトに、いろんな楽器のサンプル音源があらかじめ入っており、それを専用の鍵盤でコツコツ入力していくのだが、11月中旬まではまだ末の娘が自宅保育だったため、まだ言葉が通じない子供と同じ空間にいるときのパソコン作業は全くお互いのためにならず、子供の好奇心と、大人の事情とが拮抗し、歯ぎしりしながらパソコンをシャットダウンし、浮かんできたアイディアを忘れないように、頭の中で何度も何度もくりかえし反芻しながら、半ば上の空で絵本を読むこともしばしばだった。程なく保育園に登録でき、そのためのお試し保育が始まったことで、少しづつ一人で作業に集中できる時間も増えてきた。生活リズムが整うとペースができるので、一日どれくらい作業が進んだのかとてもわかりやすい。それだけで日々のモチベーションがキープできるようになった。午前中はデモ段階に進んだ曲の打ち込み作業。末娘が保育園から帰ってきてからは、相手をしたりしなかったりしながら他の曲の事を頭の中で考えていた。
 ところで僕はドラムが好きなので、デモを作るときにギターとドラムから手をつける事が多い。今回バンドスタイルで打ち込み、デモを用意したのは4曲で、どの曲も、曲の基礎となるギター→ドラム→ベース→その他ウワモノの順で作った。まずギターを軽く録音しておいて、それを聴きながらドラムパターンを膝や指で叩いたり、口で歌って、気持ちいい楽しい踊れるポイントを探す。この時に、あまりドラムにリズムのことを担当させ過ぎずにに、少し隙間があるように気をつけていたと思う。ドラムがある程度固まってくると、今度はドラムを聴きながら、ベースパートを口で歌ったり、実際に楽器を触ってみながら考える。本人はいたって真剣なのだが、椅子に座り半分踊りながら、「ウンッボン、ドゥームッズンッ」と唸っている姿は、側から見て滑稽かもしれない。何度か、ねぇねぇ・・・あっ。みたいな場面もあったと思う。
 一番初めにデモを作り始めたトマト(仮)では、二つのリズムパターンが候補に上がり、どちらを採用するかを迷ったのだが、結局両方採用した。アコースティックギターとドラムにはパターン1を、クラシックギターとベースにはパターン2を担当してもらって、同時に演奏した。思いついた時はかなりチャレンジングなアレンジ、と興奮したのだが、打ち込んだデモを聴いてみると意外と自然だった。ガッカリ、とまではいかないものの、軽い肩すかしをくらったような感覚に、自分の現在地を教わったような気がして悔しい半分、嬉しい半分だった。
 今さらだが人に弾いてもらう事を想定してのデモ作りは初めてで、どれくらい作り込むものなのか、かなり迷った。あえて隙間の多い造りにしておいて、プレイヤーの自由度を確保するのも不確定要素が増えて面白そうだが、方向性が定まらないのは避けたい。作り込めば世界観は伝わりやすいが、逆に世界が窮屈になってしまわないか心配。とまだ起こってないことを悶々と考え込んでいたのだが、自分の活動を思い返すと、一緒に活動したことのある、小鳥美術館、GUIRO、Hei Tanakaの作曲を担っていた人たちは、みんなかなりはっきりしたビジョンを持って曲作りしていた。彼ら、彼女らは掛け値なしに天才だった。物を作るときの集中力、他の何事をも圧倒する覚悟を持って曲を作っていたと思う。それだけ情熱を傾けてようやく絞り出した一曲の美しさを僕は知っているし、その姿を15年以上間近で見てきた経験を持ってして、デモ作りに曖昧さを残すなんて過去に背を向ける行為だと思った。デモ作りは自分ができる限り隅々まで神経を行き渡らせてしっかり作る、その上でプレイヤーにリラックスして取り組んでもらえる環境を作ろう、と決めた。
 決めてしまえば後はやるだけ、と作業に没頭して、家事、育児以外の時間を全て制作に費やしていたのだが、2週間くらい続けたところで恐ろしく疲れ切っている事に気がついた。目と肩の疲労から頭痛になり数日治らず、パソコンの操作ミスを繰り返し、機嫌が悪くなっていた。楽しいことでも全力疾走は長く続かず、作業自体が辛くなってしまっては本末転倒なので、山盛りの唐揚げとシュークリームを食べて1日寝て過ごした。何事もバランスである。

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