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アクターズスクール広島と私。

中原万貴です。
今回、2021年12月12日に母校であるアクターズスクール広島主催のイベント
「ASH劇場2021 広島スペシャル」に出演するにあたり、
中原が約7年間育ててもらった母校と万貴音の活動前を記しておこうと思いました。

入学のきっかけ

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音楽や芸能とは全くかけ離れた世界で、のびのびと生きてきた人間でした。
小さい頃は、10歳上の姉の影響で「愛は勝つ」や「さよならだけどさよならじゃない」などたくさん姉と歌っていました。*時代感
母は昔から記録に残したい人だったので、その当時の録音してある歌声や笑い声がたくさんつまったカセットテープが山のようにあります。

無邪気に歌うのは好きでした。
でも”歌うことをお仕事”に、とは全く思わず育っていました。
そんな万貴に大きな影響を与えてくれたのは沖縄アクターズスクール出身の4人グループ・SPEED。

歌って踊ってキラキラして見えました、「あんな風になりたいなぁ〜」と。

そこからまさにCM見て決意したのです。
「広島にアクターズスクールが開校だってー!?」
「アクターズスクールに入りたい。歌って踊る歌手になりたい!」
初めて自分の意思で、"やりたい"を家族に伝えました。
姉が10歳上と先ほど書いたとおり、家族から大事に大事に育ててもらった末っ子ちゃんなので、
目を瞑ってても服が変わってる・髪型も結んでもらえてるような女の子。
そんな甘々ライフで生きてきた私が、自分の気持ちを家族に伝えた時、
姉が一番に大泣きしてました。
「あのまきちゃんが、自分から”やりたい”って…」と。
母と祖母は、しっかり私の気持ちを聞いてくれて受け入れてくれました。
あとは、当時石川県に単身赴任している父を説得するのみ!といった感じ。
姉の強い強い後押しのおかげもあり、スクールのオーディションを受けることになりました。
*まだ受かってないけど、中原家大騒動でした。

レッスンの日々と数々のオーディション

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・第一期生、アクターズスクール入学式↑(小学5年生になったばかりの中原)

○入学オーディション
いろんな世代が集まる会場。
歌やダンスの知識も経験もない中原が飛び込んだ、生まれて初めてのオーディション。

ダンスの審査では、先生の真似をしてステップしたりダンスしたり…(こ、これがダンスというものなのかー!と感動でした。)
しゃきしゃき踊ってる人が多くて、世界は広いなーと思っていたのを記憶しています。
歌の課題曲は、「Wake me up! / SPEED」でした。(懐かしい!)
基礎はなくても、思いっきり一生懸命に歌いました・・・

合格通知が後日届いた時は、感動しました。
まさか、まさか、本当に!?と、大喜びしました。

○レッスンの日々
各クラスに振り分けられて、はじめてのクラスはBクラス。(クラスは年齢やレベルによって変わっていきます。)

同世代の子たちと週末のレッスンの日々。

基本は、ボイスレッスンとダンスレッスンです。
なにもかもが「初めまして」の連続。
上手な人がたくさんたくさんいて、どうやったら上手くなれるか、
がむしゃらに歌って踊っていました。

レッスンが楽しみで楽しみで、週末が近づくとワクワクして、夏休みになると平日に集まって練習してたなぁ。
通常レッスンの他に、モデル・演劇・アナウンス・メイクレッスンも増えていきました。
個人ボイスレッスン・ダンスレッスンもやってました。

○スクール内のオーディション。
スクール内でのオーディションは、大きく分けると3つ。(当時ね!)

・P企画オーディション
課題曲を歌う審査と、課題曲に自作の振付をしダンスをする審査
自分で振付苦手だったなぁ、、でも少しでもチャンスを掴むために頑張ってました。

・ユニットオーディション / ソロオーディション
自分たちで企画したユニットやグループで一曲を仕上げて挑みます。
振付や構成全てを自分たちで考えます。
ソロオーディションも同様です。(ソロオーディションは入学2,3年後に始まったように記憶しています)

中原はじめてのユニットは女の子6人グループ、Happy Baby。(初めての合格でした。フラワーフェスティバルに出たのを覚えてます。)
はじめてのソロオーディションは「解放区 / 島谷ひとみ」。(この時ソロ合格、該当者なし)

発表会

発表会は春と秋の年に2回ありました。

発表会で披露する曲は通常レッスンを受けているクラスの発表とは別に
個人・グループ・先生方が企画したものが集まります。
合格者は先生のレッスンを経て発表会に出演できるという流れ。

クラスごとの動きは、曲決めから本番まではとにかく練習です!
マイクを持てるかどうかは、クラス内でオーディションがあるので曲が決まればそれぞれに練習の日々です。

発表会を通じて「リハーサル」「場当たり」「ゲネプロ」などの難しい言葉も覚えていきました。まだ歳も小さかったのもあるんだと思いますが…

過去の中原はクラス発表の他にソロ4回・ユニット2回、P企画では多数出演させてもらいました。

・1回目「亜麻色の髪の乙女 / 島谷ひとみ」(写真なし!)
*劇的に太っていた時期です、、、だからないのか!?*持っている方がいらっしゃても、そっとしておいてくださいませ。(封)

・2回目「On the Radio / Donna Summer」

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・3回目「I LOVE YOU / 尾崎豊」

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・4回目「はなびら / 池田綾子」

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ソロでステージに立った経験が一番今の自分に大きな影響を与えてくれたのかもしれません。

発表会で忘れてはいけないのが、「スクールの歌」!

アクターズスクール出身だったら、歌えるであろう一曲。
在籍中にできたオリジナルソング「NEW HORIZON(スクールの歌)」、発表会のエンディングで歌いながら各クラスが続々とお礼の一言を言っていきます。
スポットライトを浴びながら「さぁ〜、いま〜」と歌い始めるの、させてもらいました。

卒業

小学5年生〜高校2年生、約7年間のスクール生活を卒業。

歌やダンス、お芝居や歩き方・話し方などたくさんのことを学び、
私に残った一つの強い思いは、「卒業しても歌が歌いたい。」でした。

個人で活動してみたら、どんな景色が見えるだろう。という気持ちが強くなりました。
卒業してから紆余曲折し、万貴音の相方・小田貴音さんに出会いました。
そして、今の自分がいます。

アクターズスクール広島で過ごしていなかったら、どんな未来になっていただろう。。私にとって大切な場所、今の自分を作ってくれた大きな場所です。
今でも自分の歌を歌えていることを誇りに思います。

「アクターズスクール広島と私」
7年間の細やかなことを書くには連載になりそうなので、自己紹介の続きだと思って楽しんでいただけたら嬉しいです。

雨の日も、晴れの日も、雪の日も、スクールの送り迎えをしてくれた母。
現在はリモートではあるけど、スタッフとして支えてくれている母。
悩んでいる時も、泣いている時も、いろんな場面を一番近くで見守ってくれている母の力も大きく、今の自分を支えてくれています。

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2021年12月12日
日々レッスンをしていたあのスタジオに、アクターズスクール広島 第一回目の発表会が行われた思い出深いあのスタジオに、万貴音として歌いに行きます。

泣くかもしれません。。。

現地観覧はもう完売したようですが、配信チケットは販売中です。

みんな、見てて!

中原万貴

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・アルバム「Smile Co.」
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・シングル「クローバー」
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・シングル「優しい言葉」
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・アルバム「ノーマライズ」
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・アルバム「Ancient Collections」
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・シングル「ごめんあそばせ feat.桑原しおり」
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