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スクルット?スクルッタ?クニット?

『ムーミン谷の十一月』に登場する
とんでもなく年寄りで何でもすぐに
忘れてしまうこの方。
ある秋の早朝、目覚めると自分の名前を
忘れてしまっていた。

「ひとの名まえをわすれると、ちょっとゆううつになりますが、自分の名まえをわすれるのは、なんともいいものです」(新版『ムーミン谷の十一月』7章)

夕方になるにつれ(!)さーて、名前は…
と思案するこの場面、旧版では
「スクルッタじいさんにしようか、
スクロンケルおじさんがいいかな、
それともスクルッタおじさんかな、
スクレールおじさんかな、モフィ……」
となっている。

ここの原文は:
Skruttagubben? Onkelskrånkel, Onkelskruttet? Morfarskrället? Moffi ...?

Skruttagubben

skruttaというのは主に
老いた状態を貶す言い方で
「ひ弱」の意味もある。
gubbenは「おじいさん」なので
Skrutta爺さん

Onkelskrånkel
onkelは「おじさん
skrånkelは恐らくToveの造語
カタカナにすると「スクロンケル」
→スクロンケルおじさん

Onkelskruttet
onkelは「おじさん」なので
skruttetおじさん…なのだが何故これが
「スクルッタ」となったのかは後述

Morfarskrället
Morfarは「父方のおじいさん」
skrälletは「(高齢で)よぼよぼ、
よろよろ」の意

Moffi
MoffiはMorfarの可愛らしい呼称

スクルッタじいさんにしようか、スクロンケルおじさんがいいかな、それともスクルッタおじさんかな、よぼよぼじいさんかな、じいじ……。

新版『ムーミン谷の十一月』7章

候補が色々あがったが、結局
Jag är Onkelskruttet
(私はOnkelskruttetだ)

と厳かに宣言して決定に至る。

あれ?skuruttetがなんてスクルッタなのか?

Skruttと称されるキャラクターは
他のムーミン物語にも登場する。

絵本は『さびしがりやのクニット』(原題:"Vem ska trösta knyttet?")

skruttとは、
「ろくでもない・くだらないもの」
「ガラクタ」「臆病」「ヘタレ」等々
何とも情けない感じの意味がある。
※skruttetは定冠詞が付いた形
『さびしがりやのクニット』で
クニットが助けるスクルットは
「怖がりちゃん」「おどおどちゃん」
「はみだしっ子」あたりが合っているかも。

Onkelskruttetはさしずめ
「ポンコツおじさん」という感じかな。
ここで出てくる疑問は
skruttetおじさんが何故
スクルッタおじさんとなったのか。

旧版での訳語決定の経緯は不明だが、
skruttetはカタカナにしてみると
スクルッテット」と発音しにくい。
Skruttagubbenという候補もあったし、
Skruttaとskurutt(et)は関連している語だし
「スクルッタおじさん」という訳語選択は
的確ではないかと思う。

ん?となると、

『さびしがりやのクニット』で
クニットが助けるスクルットは

クニットって何?という疑問が出てくる……よね?

クニット(Knytt)と称される生きものは
主にこの方たち。

『ムーミン谷の冬』に登場する
サロメちゃんは旧版では
「はい虫」となっていたが
この子はクニット族なので
新版ではクニットに改訳している。
そして「はい虫」(kryper)というのは
この子たち↓のこと。
※kryperは「這うもの」の意

トーベの挿絵から判断すると
体毛がいっぱい生えているけど
顔の体毛は薄いのがクニット、
顔も毛むくじゃらなのが
はい虫、というのが違いかと。
公式のキャラ紹介はちょっとまだ
混乱が見られるが……。

さて、するとKnyttって何だろう?
「ほんの微かな音」「ほんの少し」の意である
knystという語をknyttということがある。
※いわゆる方言なので一般的ではない

恐らくskruttと同様にknyttも
蔑ろにされがちな存在な
小さき者たちのことなのだろう。

そういえば
ムーミンパパ海へいく』で
パパがこう話している場面がある。

Ett väldigt ansvar vilar över minsta knytt, vartenda litet skrutt som har tillgång till tändstickor!
「どんな小さな生きものでも、マッチを手にするときには、とても大きな責任がかかってくるんだよ」

新版『ムーミンパパ海へいく』1章

ここは直訳すると
「ほんのちっぽけなクニットも、あらゆる小さなスクルットにも」
となるところを、旧版・新版ともに
「小さな生きもの」としている。
「クニット」や「スクルット」が
何ぞや?というのが浸透していないと
読んでいて変に引っかかってしまうので。

物語のここかしこに登場する
クニットやスクルット。
Toveの物語は実は
この小さき者たちに向けて
描かれたものなのだ。

私の物語が誰のために、
どんな読者のために
向けてのものなのかと言われたら
たぶん、スクルットに、
ということでしょうね。
つまり、自分にぴったりの居場所を
見つけられなかったり、
疎外されていたり、
ぎりぎりのところににいたり、
何というか、小さくて、むさくるしくて
みんなについていけないような人たち、
そう、Bortkomlingenのために。

翻訳:畑中麻紀
『ムーミン谷の十一月』のスクルッタおじさんは、認知症の老人をうまく描写していると思う。認知症の人はずーっと「ボケたまま」のではないのだ。
「もし、おまえさんが、これを小川だとわかっていたとしてもだな。なんでそれを口に出していう必要があるんだ。おそろしい子だよ。なんで、わしをかなしませるんだい」(新版『ムーミン谷の十一月』11章)



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