心の問題かそれとも性根が腐っているのかについて

過去に出会った男性についてだが、あまりにも会話が成立しない。揚げ足取り、マウント、真偽のほどが怪しい自分語り、とにかく腹の立つことばかりで終始気分が悪い。

やられっぱなしもしゃくだなと、疲れはするが思い切ってわたしにしては珍しく指摘しても結果どこ吹く風。

『やべーな、コイツ』と思いながらもわたしの【優しさ】がムクムクと出てきてしまい、『こんな変な奴いるわけがない。わたしの心が狭いのか?本当におかしな奴だとしても何か真っ当な理由があるはずだ』と、しばしそいつの戯言に付き合ってしまった。

で、当のわたしは疲れ果てたわけだが。

当初は人格障害を疑った。
精神疾患の類であれば、わたしのように解消への道があるはずだ。彼も生きやすくなるであろうとあれこれ調べてみたりもした。

該当するとこでは『自己愛性パーソナリティー障害』か。

なるほど、特徴が該当しすぎる。

ここで一度腑に落ち、障害ならば仕方あるまい。そして障害ならばせめてもの対処法がないものか、と考え出したあたりで『いや、なんでわたしあんな奴のことで頭と時間使ってんだろ』と思い直した。

同時に、同じような特徴の男性について『精神疾患を疑ってあげる優しい女性がいるが、そいつは【性根が腐ってる】だけだ。安心しろ。』との見解を示す某有名恋愛カウンセラーのブログにも行き着いた。

そうか、性根が腐ってるならば仕方がない。
なす術なし。わたしにはお手上げだ。

と、ここでようやく【性根腐ってる説】で腹に納めたのだが、今になってやはり【自己愛性パーソナリティー障害】も捨て切れないな、と思うようになった。

なぜかというと、最近わたし自身の虐待体験を含めて、どうすれば【毒親の世代間遺伝】という切ない現実を断ち切れるのか研究しているからで。
この研究にはどうしても親の気性やものの考え方の傾向を検証する必要が出てくるのだが【性根が腐ってる】で片付けてしまうと先に進めないのだ。

なぜなのか。
なぜ【性根腐ってる説】で片付けてしまいたくなるほどこの手の問題は向き合うのが難しいのか。

自己愛性パーソナリティー障害を含めて心の問題はとても難しい。体の問題よりもよっぽど厄介だ。

心の問題を抱えた人と向き合うにはこちらの心も疲弊する。素人が手を出すと共倒れするのが現実だ。
だからよっぽどな理由がない限り『やべーな、コイツ』という印象を抱いたなら一目散に逃げたほうが良いのだ。

だけど、わたしはやっぱり知りたい。
なぜなのか。そして、どうすればこの負の連鎖を断ち切れるのか。

それには【性根が腐った原因】を探しにいく必要がある。

学者である以上、研究対象と一緒に倒れるわけにはいかない。

一目散に逃げるとまではいかなくとも、自分のセーフスペースを守りながら探求していく。それがわたしの課題。そしてその副産物として【さらに生きやすさを手に入れた自分】にもなれるはずだ。

難儀な性格に生まれちまったのぅ。
わっはっは。

2024.2.4

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