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私の棚卸し【番外編】明日の支払いどうする!?からの。

今日はクレジットカードの再引落日。

昨日の時点でどうしてもあと1万がなく、

しかし、驚くほどに不安はなく、

目の前の現実というものが、自分の感情に直接的に影響しているわけではないということを実感していました。

現実、出来事はいつもフラット。

そこに、いい悪い、うまくいってるうまくいってないなどの意味づけをするのは、あくまで自分の思考だということ。

潜在意識に設定された解釈に基づいて判断するということを実感しました。


そして私はお金がなくても、実は不安になれない。笑

結婚してた頃、あんなにカリカリ支出を見張っていたのはなんだったんだ!?


事実と解釈と感情

ここで、具体的な自分の事例を挙げると、わかりやすい文章になるんだろうな〜笑

なんだか苦手で。くどくどと回りくどく説明するのもされるのも嫌いで。

あー。私の話しなんて聞いてられないですよね?的なブロックが見えてきました。ここも少しずつほぐしていこう。


そうそう、お金が足りなくて。

ただそれを受け止めつつ、この難局をどう越えるのか?私?みたいな、まるでドラマの続きを楽しみに待つかのような心境で過ごしていました。

出品という手放し

さて、メルカリ沼にハマる中で、気づいたことがありまして。

出品って、意識の上ではもう手放していて、単純に処分できないものたちなんですよね。意識はもう手放してる。


私、アクセサリーを一切つける気がないな、と。

しかし我が家には、譲り受けたアクセサリーが何点かある。祖母の形見だったり、母が奮発したものだったり。私もローンで買いながら気に入ってないものがある。

そういう物を手放したくなっていた。いや、意識は手放していた。

ということで!

以前、買い取ってもらった店が印象良かったので、査定に行くだけいってみよう。手放すかも?に身を置いた時、私はどんな感覚になるのだろう?と思いついた。


不要品が化けました


結論からいくと、

全てを売却して6万近くになった!


リングのダイヤだけは残して、そのうちペンダントにでもリメイクしようか?せっかく譲ってくれた母に悪いし、とか渋ったんだけど、

金額を聞いてから、換金するのとダイヤを残して持ち帰るのと、その場で目を閉じてイメージすると、、、

持ち帰ってしまうとまたそこに「いつか、、、」という意識のフローが起きるのが変わらないな、と想像できた。それより一旦スッキリしよう!と。

祖母の形見だって、なんだかそれを大事にしている自分に執着してる気がした。こんな私ステキでしょ?と。

祖母からは生きていく上で最も大切な愛情をふんだんに注いでもらったし、私が祖母になったとしたら孫が形見を大事にしてるしてないなんてなんにも関係ないな、と。

私のところに来たということは、私の自由にすることこそが、そのお役目のような気がして。


誰かの想いが乗っかってるもの、

正確には、私が物に想いを乗っけてしまっているんだけど、

そういうものが家の中に存在しているだけで、私は日々エネルギーを少しずつ漏らしているのかもしれない、と気づいた。


そしたら朝からこんな記事

激しく共感してしまった。

母が送ってくれるものに憎悪すら感じていた頃ががあったw

結婚当初、夫の持ち物をことごとく白や茶色に塗り替えてみたり、今思えば狂ったように頻繁に模様替えしてたのも、

他人の持ち物や、自分が妥協して買った持ち物が家の中で目に留まることが、不快極まりなかったんだなと、妙に腑に落ちた朝です。


そう感じることを、自分が自分に許してなかっただけでした。


いや〜、常識という信仰、道徳という洗脳、根深いな。


今回の売却、めっっっちゃくちゃスッキリしました!

やってみないとわからない世界に移行しました。意識のクリーニング感がヤバいです。

快感なる収入、とうとう得てしまった。

これ、種にして、育みます。



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