見出し画像

つれづれ

ドキドキ通勤

昨日ははさみを持参して阿蘇へ出勤。

通勤途中の道端で、見事に咲いてる紫陽花を少し頂くために。。にひ。

ところが、遠目で観ていると見事な紫陽花も、
近づくと、くもの巣だらけ~><
手が汚れるのキラいなんでココロ折れそうになりながら、
また先住民の方々にごめんねぇとココロでつぶやきながら、
小さめの4本をゲット!


あじさいってそんなに好きじゃないんですよ。(取っておきながら、なんだよですがw)
そして切り花にするのもそんなに好きじゃないんですよ。(あとの手入れを面倒に感じて)

そんな私ですが、

職場の外水道で念入りに洗い、店のカウンターに飾ると、
思いのほかテンションが上がってる自分に驚いちゃった!

すっごくいい!

空間がね、澄んだ感じになって。


自然、ありがとう!

(語彙力よ、、、)


「呼吸」は自然界との情報交換


という言葉を、以前聞いたことがあって、
ステキな捉え方だな~と思った。

今回、野山という自然界から、
ちょっと勇気を出して拝借というか頂戴したわけなんだけど、

「自然の氣」を取り入れるって、なんだかとても大切で貴重な気がした。

私たち人間も自然物であって、それを忘れちゃいけないなと。


人工物に囲まれ過ぎていると、知らず知らずのうちに、「野性味」みたいなものを忘れてしまうのかもしれない。


自分ビジネスは自分の在り方をお金に換えて活動資金、生活資金を産み出す循環だと思うんだけど、

それには「野性味」が必須なんですよね。


紫陽花を飾ろうと思ったきっかけ


市内の服飾ブランドのアトリエに週2日勤務してますが、

オーナーがいつも庭の花を花瓶にさし、玄関や私たちの作業スペースにも持ってきてくださるのです。

野花のような花はすぐにしおれてしまう、はずなんだけど、(朝摘んでも午後にはしおれる我が家)
オーナーがいける花がなかなかしおれないのよね。摩訶不思議。

時には、作業にはちょっと邪魔だな、こぼしたら大事(おおごと)だし、、、なんて思ったりもしていたのだけど、

潜在的には、野を感じていたんですね。

野を感じる心地よさが、知らないうちに蓄積されていたんだなと。

そして満を持して(笑)私も、柄にもない行動に出たのでしょうw


本当に嫌いなのか?

切り花嫌いモンダイ。(どうでもいいですねw)

モノや環境に支配されがちな思考だった頃は、

せっかく根を張って生えてるところを切り取ってしまうことがかわいそうに思えてたり、

毎日水を替え、切り戻した方がいいことを知っているがゆえに(知らない人、しない人が多いことに最近になって驚いてる)、それをしてあげないといけないと縛られたり、
しなくて腐った後の処分が異常に悲しくて辛かったり、

とにかく植物側主体?の目線で生きていたので、かわいそう、ってなってたんですよね。

でも、昨年花束をもらった時といい、今回の紫陽花といい、私の気分の上がり方がハンパない!

そして「かわいそう」より「ありがとう!!!」が勝ってきていて、
自然がより愛おしいし、ちゃんと必要距離を開けたいと感じてる。

なんか、内側が変わったんだね、私。



つらつらと。つらつらと。

自分を理解し、愛する時間として、意欲的に書こうと思ってる。

とりとめもなく。

書いて書いて、私は私を理解するぞ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?