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決めるのは自分自身

私達の住まいは、先に渡米した夫が決めた、ゴルフ場の中にある「サブディビジョン」という住宅地でした。

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※7月ごろの清々しいミシガンの空・自転車に乗り始めた長男

渡米したのが5月だったので、日本で幼稚園の年少だった長男は9月の新年度に現地の幼稚園へ入園することになりました。

子供の通う幼稚園の入園手続きを済ませると、役所窓口の女性が「あなたはどうするの?」と私に尋ねました。

一緒にいた夫が、まだ英語がおぼつかない私の代わりに窓口の女性に返答しようとすると、窓口の女性が

 「あなたには聞いてない、あなたの奥様に聞いているの」

と、ぴしゃり。

驚いた夫が私に

「俺が答えるんじゃなくて、マキコに質問しているからマキコが答えるんだよ」と女性が話した内容を教えてくれました。

実は私は、年度が始まる9月までの3ヶ月間、長男と家でじっとしている事はとても苦痛だと思っていたので、

①長男と通えるESLスクール(母国語が英語ではない人が英語を学べるスクール)を探す

②運転免許を取得する

この二つを希望していることをその時初めて夫に話しました。

夫はその旨を窓口の女性に伝え、私はESLスクールと運転免許を取る手順を教わり、帰宅しました。

夫は、私の気持ちをきちんと聞き出せて無かったことが申し訳なかった、と私に謝罪しましたが、謝罪した夫にも驚いたし、窓口の女性が私自身の気持ちを尊重してくれたことが嬉しくて仕方ありませんでした。

実は夫は、私がアメリカで運転するのは9月以降、長男が幼稚園に通うようになってから、と思っていたようなので、渡米後比較的早いタイミングで車が運転できるようになる事は、私が自分で得た「自由」なのでした。

自分を変えると周りも変わる

その時から私は、例え英語が不自由な状況でも、自分の気持ちはしっかりと持って、相手に伝える努力をしよう、そう心に決めました。

伝えようと努力すれば、聞き手は少しずつ理解しようとしてくれる、そんな風にポジティブに考えるよう努めました。

時には、差別的な発言をされたり、中指を立てられたりと、悲しいこともありましたが、傷ついたことも、しっかりと自己消化できるように、我慢せず夫に伝える勇気も少しずつ身につけていきました。

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自分自身のことを上手に表現できなかった私が

どのように絵や歌の世界へ入っていくのか、今後のnoteで

ご紹介します


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