これも俳句なのか。

 2019年、大学の先輩が監督された映画『ずぶぬれて犬ころ』を観に行きました。
 『ずぶぬれて犬ころ』は、岡山県ご出身の本田孝義監督が、同じく岡山県出身の夭折の俳人・住宅顕信(すみたく・けんしん)の生涯を映画化された劇映画です。
 本田さんとは、大学卒業後、特に会う機会もなかったのですが、たまたまイベントを見に出かけた代々木公園で再会し、公開前の映画のチラシをいただいたことで交流が再開しました。

  このときいただいたチラシの映画は、2008年公開の『船、山にのぼる』でした。『船、山にのぼる』はダムに沈む村の「森の引っ越し」をテーマにしたPHスタジオのアートプロジェクトを映像化した作品です。すごく映像のきれいな映画で、学生時代の本田さんのイメージとはちょっと(かなりかも)違ったので驚いたことを覚えています。

 『船、山にのぼる』がとてもよかったので、建てない建築家で作家の坂口恭平さんを追った2012年公開の『モバイルハウスのつくりかた』も、映画館へ観に行きました。

 そして2019年。『ずぶぬれて犬ころ』の公開時には、俳句つながりだからと母を誘って観に行きました。

 『ずぶぬれて犬ころ』で描かれた住宅顕信は、自由律という5・7・5にとらわれない形式の俳句をつくる人です。母はがっちり「5・7・5」&「季語」の俳句をつくるので、映画を観終わって「ああいう句もあるよ」と言い、私は母の言う俳句とこの映画の俳句の違いにちょっと興味を持ちました。

 私でも知っている有名な自由律の俳句に、

 咳をしても一人 尾崎放哉
 分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火

があります。
 尾崎放哉と種田山頭火は同門で、季題無用論を説いた荻原井泉水主宰の俳誌『層雲』に参加していたそうです。住宅顕信も『層雲』の誌友であったようですが、27歳で亡くなっていて、生前に残した俳句はぜんぶで281句。

 本田さんの映画を見なければ知らなかった俳人ですが、後々に出会った”俳句の人”たちは、口をそろえて映画館に観に行ったとおっしゃっていて、あの映画はこういう人たちに支えられていたのかと、ちょっとした衝撃を受けました。

 若さとはこんな淋しい春なのか     
 気の抜けたサイダーが僕の人生     
 レントゲンに淋しい胸のうちのぞかれた 

 これは、映画の中に出てくる住宅顕信の句の一部です。このあたりは私でも、俳句なのだろうとわかります。しかし映画のタイトルにもなっている「ずぶぬれて犬ころ」も一句だというのです。
 それなら、俳句ってなんだろう。なんでもありなのか。このあたりで、がぜん「俳句」に対する興味が湧いてきました。

(つづく)

お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、次の記事のためのなにかに使わせていただいますね。