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次は何を捨てようか

私は欲張りです。

でも欲張ってないふりして生きていたと思います。

でもはっきり言えます。欲張りまくって生きてきた人生です。

物欲はそんなにないから決して欲張りには見えないんですけど。

物への執着ではなくて精神的な充実、安心、満足感、仕事、恋愛、プライベート、それらは余すことなく全部欲しかったのです。

1つ1つの望みはあまり大きくはありませんが、問題はそれらがとにかく全部欲しかったところです。そのせいで大切なものを失いかけたことをきっかけに、自分は欲張りだったのだとようやく気が付きました。

すでに手に入れたものに対してはあまり見向きもせず、まだ手に入れていないものずっと狙っているのです。お腹を空かせたオオカミのように。

お腹を空かせたオオカミ

欲張ることは決して悪いことではないと思います。ただ、それで苦しくなったり、大切なものを失う可能性があるなら見直した方がいい、と私は思います。正しく必要なものだけ欲しがれば、もっとずっと快適に生きることが出来るのではないでしょうか。

私の場合は苦しくなりました。苦しさが慢性化して気が付かなくなるほど長い間苦しんでいたような気がします。欲しい対象が物でない場合、表面化しにくいので、気が付くのは難しいかもしれません。

もし仮に、なかなか息苦しい、でも原因が分からないという方、一度疑ってみてはいかがでしょうか。隠れ欲張り症候群だということを。認めたら楽になります。認めたら捨てられるようになります。

本当に大事なものを見失う前に。

私の場合は恋愛関係に顕著に現れました。欲しかった状態が手に入ると次の状態を望みます。しかもたちが悪いのは、自分ではない誰かにそれを叶えてもらおうとしていたところです。

不安が強いとなかなか手放すのが難しいかもしれませんが、一個ずつこだわりを捨てると軽くなります。

空飛ぶ風船

私はこれを“前向きな諦め”と呼んでいます。

究極は“まぁ何とでもなる、なんでもいいや”といい意味で人生を手放してあげたいと思っています。

大事なのは決して悲観してないことです。それどころか決めていることがなければ、目の前の縁を全力で大事に出来るのでワクワクしています。

何度も元の強欲な自分に引き戻されそうになりますが、その都度軌道修正。

大丈夫、焦らなくても少しずつ確実に人生は良くなります。

だってその方が明らかに心地いいので。

次は何を捨てようか。

人生をかけて実験中です。

最後まで読んでくれてありがとうございます。




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