「怒り」という速度
今日ふと、考えた。
「怒り」とは、何か大事なものの超高速な表現なのではないだろうか。
「これを大事にしたいんだ(わかってくれ)」という思いがぎゅっと濃縮されて、縮こまったまま、高速で放たれる。その勢いや迫力は、得体の知れない存在感を放つので、受け取る方もつい、心の方が身構えてしまう。
前のめりの、あるいは凍りついた身体の中で、それはますます、加速度を上げていくように見える。
そんなことが、怒りの表現現場で起きていることではなかろうか。
スローダウンして、ゆっくり眺めてみたらそんなに怖くなくて、もしかしたら手を差し伸べたくなるほどの繊細さを持つものかもしれないけれど。
脇目も振らず、そんな気配も微塵も感じさせないほどに。