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ニーズの質感 (want と appreciation)

終日 x 2日間のNVCの講座を組み立てながら、ふと「ああ、この醍醐味は文脈構築にあるのだな」と改めて考える。

「感情とは」「共感とは」など、重要な要素をそのものとして伝えるというより、「どんな流れにおいてそれが体験されるとより浸透するものになるのだろう」というように流れや質感を組み立てる。それは少し音楽にも似ているし、ひょっとしたら小説を書くようなことにも似ているのかもしれない。構成を組み立てる作業とは、耳を澄ます営みだ。耳を澄まして、響きを想像する。立体的な感触をイメージする。

おそらく多くの人がそうだと思うけれど、そういった構想は、例えば走っていたり、お風呂に入っていたり、あるいは寝室で横になっている時にふと降りてくるものでもある。そしてそれをメモとして書き留めるのだが、モードが切り替わってしまうせいか、後からメモを読み返しても思うほどのフローが感じられず、あるいは立体が見えてこない。これはどうしたものだろうか。もしかして「表現する」ことの苦手意識が、想像の目を曇らせているのではなかろうか。そんなことを考え、再び目を閉じるのだ。

このタイトルに、wantとappreciationと書いた。

 NVC(Nonviolent Communication)では、私たちの生命を突き動かす大切なものを「ニーズ」と呼んでいる。たとえば「つながり」「理解」「ありのまま」「選択」「成長」などといったものだ。

例えば、誰かとわかりあえず、モヤモヤしている時。その奥には何かしら満たしたいニーズがある。そういった不快な感覚にある時、私たちはニーズを「want(不足)の質感」で捉えがちだ。「わかってもらうことが大切なのに、それがない」というように。そしてそこから「どうしてわかってもらえないのだろう」と不満をさらに増幅させる。

というループにハマりがちな現象を前に、私は、ニーズに向きあう上でしっくりくるのは「appreciation(価値を深く受けとめること・感謝)の質感」ではないかと考えた。

「私はこれを大事に思う。何故なら、その素晴らしさを知っているから」。それが、ニーズの質感に身を寄せる佇まいにより近い表現なのだろう。

その美しさを知っているからこそ、私たちのこころが動く。それが満たされていることの豊かさを知っているから、そのことをわかちあいたいという衝動が、私たちを通じて表現されようとしているのだ。

そんな想いで今日のクラスの最後に取り入れた、ニーズをあじわうワーク。

思考的分析を手放し、ただその満たされた質感にチューニングし、湧いてきたことを表現することを楽しむこと。それを感謝すること。

wantからappreciationへ。このシフトは、いろいろなことに対してあてはまる。能力、知識、お金、スキル、などなど。不足を思うとキリがない。感謝を思うと、それはいつでも十分にあり、私を満たし続けている。