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東洋一、幻の白雲楼ホテル

湯涌温泉は、金沢の中心市街地から、車で30分ほど行ったところにあります。

夏の様子

温泉街の通りは、どことなく昭和のおもかげを感じる落ち着いた雰囲気です。

2月の半ば、まだ雪に覆われていました。
この突き当たりには、玉泉湖があり、そのほとりには氷室小屋が建っています。

氷室小屋は、冬の雪を夏まで保存しておくための小屋です。

玉泉湖、少し高台になった場所にあって天然にしては?と思っていたら、人工湖でした。

今では、解体され幻となった白雲楼ホテルの一部として造られた人工湖です。 

金沢市立玉川図書館蔵
金沢絵葉書14.加賀湯涌温泉(金沢近郊)
白雲楼全景

白雲楼ホテルと昭和不況

白雲楼ホテルは、昭和7年(1932年)に開業したリゾートホテルです。

東洋一の設備白雲楼とうたわれ、豪華な建物のほか玉泉湖やゴルフ場にプール、ダンスホールなどが揃っていました。

金沢市立玉川図書館蔵
白雲楼付近鳥瞰図

国務大臣まで務めた桜井氏が建てたものです。 同年には、金沢産業と観光の大博覧会が行われています。

金沢市立玉川図書館蔵
産業と観光の大博覧会


昭和4年(1929年)の世界恐慌の煽りをうけて、日本も1930年代には昭和不況と言われる経済低迷期でした。 

金沢も影響を受けていて、当時の金沢市政概要を見ると、旅客者数が激減しています。
昭和5年 247,991人
昭和6年 206,206人
約17%減っています。

産業と観光の大博覧会の文書にも、「現下の経済困難に省みて、この開設が産業の奨励、文運の伸長に寄与せしところ、決して鮮少ならざりし」とあります。

不況を乗り越えるため、国策としては、外貨獲得を目指し、インバウンドの誘致を促進していました。
そのころ各地に国際観光ホテルがつくられています。

バブル後の失われた30年、コロナ禍により、インバウンド誘致を促進している現在の状況ともオーバーラップします。

焼失、建替などで、当時の国際ホテルの建物はあまり残っていません。でも、いくつかは健在です。
雲仙観光ホテル。昭和10年(1935年)開業。こちらは、ハーフティンバーの洋風建築です。

出典:Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ファイル:UNZEN_KankoHotelappearance2.jpg#mw-jump-to-license

それから、琵琶湖ホテル(現びわ湖大津館)。昭和9年(1934年)開業。こちらは、和風です。歌舞伎座に似ているのも、設計者が同じ建築家なのでうなづけます。

びわ湖大津館
出典:wikimedia
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Biwako_Otsukan13s3.jpg#mw-jump-to-license

白雲楼ホテルは、国策ホテルではありません。でも、わたし個人のロマンでは、政治家である桜井氏が国策に先駆けて、不況打開のため地元にリゾートをつくったのでないかと思っています。

白雲楼ホテルの建築

建物は、フランクロイドライトの設計だともうわさされる一見洋風の本館でした。

金沢市立玉川図書館蔵
白雲楼異国情緒

フランクロイドライトは、帝国ホテルを手がけた建築家です。

帝国ホテル(博物館明治村)

雰囲気が、そう言われれば似ているように思えてきます。

当初、白雲楼ホテルは、銀座和光で有名な服部時計店主の邸宅を移築して開業しています。
その邸宅は、フランクロイドライトの設計による建築でした。

古い新聞記事によると、その邸宅は、「本館ができて間もなく焼失した」との記載があります。
本館は、もとよりあったフランクロイドライトの建築に雰囲気を合わせてつくられたものというのが真相のようです。

白雲楼ホテルは、玉泉湖の側から見ると、5階、6階建てに見えます。

でも、反対側の正面から見ると、すっきりとした2階建てに見えます。
崖池を利用した設計です。

白雲楼ホテル 正面から

スペイン瓦と呼ばれる瓦を使い、アーチ窓も取り入れつつ、車寄せの切妻屋根などに和の趣きも感じられる建築です。

左の本館部分は、異国情緒漂っています。
スペインぽい雰囲気で、アルハンブラ宮殿を思い出しませんか?

スペイン瓦は、本場スペインでは、アラブ瓦をと呼ばれるものです。
日本には、大正時代に洋風建築用に入ってきました。

アルハンブラ宮殿ヘネラリーフェの瓦

グラナダなどアンダルシア地方の都市は上から見るときれいな統一感ある街並みです。

グラナダの街並み

夢の膨らむ建物ですが、白雲楼ホテルは、残念なことに老朽化が著しいとして、2006年に解体されてしまいました。
スペイン建築好きとしては、幻の白雲楼ホテルに入る機会がなかったことが悔やまれます。

白雲楼ホテル跡へ巡礼

せめて、と白雲楼ホテルの跡地を詣でてみました。建物は解体され、残っておらず、公園となっています。

2月半ばでは、入口も雪に閉ざされています。

去年の秋に行ったときの状態で見てみましょう。写真右の坂から登ります。
温泉街が坂から見渡せます。

登っていくと、中の園地に到着です。
この場所に、白雲楼ホテルは建っていました。

東家が見があり、ひと休みしていると、上に白雲楼ホテルの写真があります。

正面、豪華な障壁画に格天井の大広間、シャンデリアの映える洋室の孔雀の間、そして玉泉湖から見た全景です。

奥には、前庭にあったのかと思われる岩や、水栓かなにかの金属がありました。

なにげなく反対側へ少し戻ってみると、草に埋もれて、四角い囲いが。
先の地図を見るに、プールの名残です。

階段から、さらに上へ登ります。

本当にここで合っているのか?と不安になりつつも進んでいきます。

ようやく、建造物の石垣から公園らしいところへ出てきました。

行き止まりの反対へ進みます。

広場らしい場所に着きました。
奥の園地です。

ここは当初は地図を見るとゴルフ場だった場所です。
その後、昭和42年(1967年)開村した百万石文化園江戸村がありました。加賀藩の建築物を中心に集めたテーマパークです。

昭和40年(1965年)には、博物館明治村ができているので、建築物保存活用の波がここまで来ていたのかもしれません。

白雲楼ホテルは、バブル崩壊後の1998年に営業終了。
付属の江戸村がどうなったのかというと、建物はきちんと保存されました。

2003年から、湯涌温泉街の外れに移築が始められ、2010年に金沢湯涌江戸村として生まれ変わっています。

金沢湯涌江戸村

その痕跡の金沢城の塀を模した建造物が広場の片隅にありました。

裏手にも、前田家の家紋の瓦の下に狭間(銃や弓矢で内側から攻撃するための穴)まで再現されたものが残っています。

さらに進んでいくと、また広いスペースがあり、この日はちょうど整備中でした。

ここを抜けると、ここにも建物があったのかな?というような場所に出ました。

外に出たら、瓦が山積みに。これも江戸村の名残でしょう。

玉泉湖から、崖に沿って白雲楼ホテルがあり、一大リゾート地だったこの場所。
今でも、湯涌温泉街のすぐ隣にあります。

2月上旬は、まだまだ雪でおいそれと近づけず、総湯のそばの足湯に浸ってきました。

湯涌に立ち寄った際には、幻の白雲楼ホテルを偲ぶのも一興です。
夏には、玉泉湖も散策に最適です。ここから、トレッキングがてら、中の園地、奥の園地まで行ってみましょう。


参考
「もう二度と見ることができない幻の名作レトロ建築」
「湯涌温泉」
「金沢市政概要」
「産業と観光の博覧会」
くらしの博物館ホームページ
https://www.kanazawa-museum.jp/minzoku/blog/past_201711.html

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