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56.歓迎の演奏ってのは、字面がとても土俗的

 秋の深まった頃、家の近くの湯河原観光会館で精神科医の香山リカの講演会があった。(2018年11月18日のこと)
 「安倍9条改憲NO!アクション湯河原・真鶴・泉」の主催だった。主催者の方から、「よかったら、講演前に演奏をしていただけませんか?」と誘われた。なんだかお茶濁しのような感じがするので、普通だったら断るところだが、「香山リカさん歓迎」ということなので、快く引き受けることにした。
 というのも、まだ彼女が医大生だった頃、学園祭にぼくを呼んでくれたことがあるのである。37年前のお返しという気分だった。
 ちょうどヒカシューが、3枚目のアルバム『うわさの人類』を出した頃で、アルバム制作の時インスパイアされた映画『フリークス』の上映と組んでよくイベントをしていた。その映画は見せ物小屋を舞台にしたトッド・ブラウニング監督1932年の映画で、長らく上映禁止だった作品である。彼女は、映画の上映と鼎談を学園祭で企画した。
 鼎談の相手は、博物学者の荒俣宏氏と工作舎で『遊』の編集長だった松岡正剛氏という論客のふたりだった。時々根拠があるのかないのか不明な明晰さで、煙に巻くような松岡さん、18世紀の作家デュドロの「ダランベールの夢」から怪物論を展開した荒俣さん、ぼくはこの特別感たっぷりな映画の魅力そのものを語ったと思う。
 とまあ、そんな縁は香山さんを呼んだ主催者の方は知らないで声をかけてきている。
 ぼくも詳しい話はしないで、講演前にテルミンや口琴、ヴォイスを交えて歓迎の演奏した。「歓迎の演奏」かぁ・・。いま書いてみて、歓迎の演奏 ってのは、字面からとても土俗的な印象があって面白いね。なにかある度にそんなものがあるのは、いいかも知れないな。いちいち銅鑼鳴らしたりね。ゴォーンとか。ただしある程度のクオリティは確保したいし、長すぎると主体がわからなくなってしまうよね。結婚式における叔父さんの詩吟とか、友だちのフォーク弾き語りとか。
 さて、香山リカさんは、自分がかつて学園祭に呼んだことを丁寧に話してくれた。そんな導入から、香山さんはアクティブに社会問題にコミットしていていながら、とても肩の力が抜けていて、いまの社会の行き詰まり感をさわやかに語っていく。それには感心した。
 講演後、彼女はすぐに次の仕事に向かっていったので、ゆっくり話ができなかった。残念だったが、しばらく会場にいると、客席にいた湯河原在住だという写真家の方が名刺をくれた。彼は以前ニューヨークで活動していて、その時知りあったフィンランドの音楽家が近々湯河原に来るので、紹介したいと言う。
 それはどんな音楽家なんだろう。

巻上公一 2019.1

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