チュチュランド漫遊記


  新宿二丁目に深夜遅くまでやっている蕎麦屋がある。ロンドンのロイヤ
ル・バレエに在籍し、日本公演にやってきて、すっかり日本が気に入って
しまったイギリス人が目の前にいる。すらっとした美男子だが、せっかち
な様子がその貧乏ゆすりからわかる。そのニコラス・ディクソンという男
と一緒に割り子そばを食べた。

ニコラス・ディクソン小竹さんのイラスト 


 ニコラスは、目白の小林紀子バレエシアターで教えていて、香港で夏に
あるユース・フェスティバルに持っていくオリジナル作品を考えていた。
ぼくはこの蕎麦屋のかぼちゃの天ぷらが好物で、この日もほくほくのそ
れをほおばっていた。そのうちに、ガラス越しに蕎麦打ちが始まった。ニ
コラスは、どうやらこの店のそんな雰囲気に魅せられているらしい。場所
柄もあって、かなりさまざまなお客がいるのが確かに面白い。
 ニコラスは、蕎麦屋を舞台にしたバレエはどうかと切り出した。ぼくは
思わず吹きだした。それまでこの男の事を半信半疑で見つめていたのだが、
この言葉で、ぼくはこいつと不思議なものが作れそうだという気になった。
なにしろ、ぼくはバレエというものをその頃まったく知らなかった。ちゃ
んと見たことがないうえに、古くさい芸術という偏見まであった。
 それまでにも、ダンスの音楽は何回かやっていたが、どれも音楽を渡し
てそれ以上の関わりを持ったことがなかったし、ダンスそのものも何が面
白いんだか、さっぱり理解していなかった。
 そのくせ舞踏の内面性とかに憧れて、大森で硬直ぶったおれだとか、ニ
ジンスキーのポーズだとかを練習していた。
 以前、和製ロックミュージカルの劇団にいて、いやというほど、無意味
な振付けを踊らされていた反動だったのかも知れない。演出家は振付けは
ミュージカルに付き物だからぐらいにしか、踊りを認識していなかったよ
うに思う。
 いまでも、小劇団の演出家が、ミュージカルでもないのに、いきなり基
礎練習みたいなモダンダンスを下手糞な役者に踊らせているのを見ると、
胸糞が悪くなる。
 そういうセンスがどういうところから生まれてきたのか知りたいくらい
だ。いったい誰がこんな冴えない構成の仕方を教えているのか。犯人をウォ
ンティドしたいものだ。

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