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59.エストニアでアルヴォ・ペルトに会う

 エストニアの友人テート・カスクから10日後にタリンに来れないかととの打診があった。それは、タリン・ミュージック・ウィークという催しで、北欧を中心とした音楽のショーケースとコンフェレンスへの参加の招待であった。コンフェレンスでは「日本の音楽マーケットについて」語り合いがあるという。バルト三国の中で、まだ唯一ぼくが訪問していないのがエストニアなので、参加するのはやぶさかではないが、如何せん急すぎる。それに演奏ではなく、ましてや市場についてのコンフェレンスだけでは行く気がしない。
スケジュールをみてみると、少しだけ調整すればいけることがわかったので、行くことを決断した。

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 テートは、とにかくぼくを呼びたかったようで、ポーランド経由のトランジットが5時間もあるフライトで到着したばかりのぼくを、「おーーー」と抱きしめるように迎えてくれて、ホテルに到着後、すぐに旧市街をほぼくまなく案内してくれた。到着が深夜近くだったので、旧市街に人気はなく、ロシア人の客引きが声をかけるくらいの静けさであった。
 翌日、朝食開場で、日本からコンフェレンスに招待されている人たちに会った。これから少し散歩するという。付いていくと、日本人担当のガイドの人がKODAstayという箱形のユニット住宅に案内してくれた。コンパクトな小部屋がなかなか楽しい。
 そして、バスに乗り30分ほど郊外のアルヴォ・ペルト・センターに到着。松林の中を縫うように建つ曲線美の建物である。アルヴォ・ペルトは、エストニアを代表する作曲家で御年84歳。中世音楽を思わせる厳かな作品が多く、ECMレーベルからたくさんの作品が発売されている。
 一緒のバスで来た大手音楽出版社の若者は、アルヴォ・ペルトを知らなかったようで、Spotifyの定額サービスに音源があったので、聴きながら来たという。日本でもかなり有名な名前になった時期があったが、若い人たちは知らないかと思うと、ちょっと残念なことだと思った。
 建物の中央あたりの図書館で、貴重な譜面のオリジナルを見ていると作曲家の発想が見えてきて、わが家のCD棚にあるアルヴォ・ペルトの音楽が身近に鳴り始めたようだった。 センターの中には、小さな教会があり、キリスト像が描かれていたが、途中のようで筆がまだ置かれていた。また定員150名ほどの音響のいい木のホールがあり、合唱のリハーサルがはじまっていた。カフェで軽食を取っていると、休憩に入ったのだろうか、アルヴォ・ペルト本人が受付の辺りに現れた。なんて幸運なんだろう。そう簡単に本人に会えるとは思ってもみなかった。ぼくも作曲をして、しかも歌も歌うと知ると、一緒に歌っていったらどうかと気軽に言う。なんて素晴らしいことなんだろう。
 ぼくはエストニアに何しに来たのがすっかり記憶を失った。初日にして大きな満足を得たのである。

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2019.3

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