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函館の「詩のボクシング」北海道地区大会の本大会から帰ってきた。

詩のボクシング はボクシングに見立てたリングの上で、ふたりの詩人が
交互に自作を朗読し、どちらが観客を惹きつけたかを競い、
それをジャッジが判定するというもの。
1997年に、楠かつのり氏が、日本朗読ボクシング協会を設立。
初代チャンピオンはねじめ正一、二代目は谷川俊太郎。
そして、谷川俊太郎の突然の辞退により、平田俊子が現在のチャンピオン。

函館の大会は、午後6時半、16人の朗読ボクサーたちによってトーナメント
で行われた。

ぼくはトーナメントのジャッジに参加した。
詩を判定するなんて慣れないことだが、ここでは詩そのものより
パフォーマンス性を評価するようなところがある。
今の詩人は書斎型で、活字になっているのが詩だと思っている人が多い。
果たして詩は二次元の世界だけなのか。
三次元に詩はないのか?
(T・S・エリオットは四つ目の次元を問題にしていなかったか?)
言葉に書けないもの。音声だけのものを詩と認められないのか。

個別の評価基準の中で詩を判定する人々が7人。
トーナメントでは次々に激しい戦いが展開した。
パフォーマンスのせいなのか、ぼくの頭脳の特徴なのか、
詩を音声で聞いていると、時々ぼーっとしてくる。
時には意識はひとつの言葉に立ち止まったままになっている。
3分以内というルールがあるので、立ち止まっているうちにゴングがなることもあった。
それでも赤コーナーか青コーナーの勝敗を決めなくてはならない。
ある時は、あげるべき判定の(赤が勝ちか、青が勝ちかという)グローブの選択を
間違えて、勝つべき人が落ちてしまった。これには後悔した。

優勝は、金村鏡子さん。かなり年配の方だった。
その重たい声と存在感、津軽弁、即興性で文句なしの軍配だった。
トーナメントの時間が押して、ぼくと楠かつのり氏との
エキジビジョンマッチがはじまったが、その時すでに10時。
この会場は一応10時まで、遅くても11時には退出しなくてはならない。
そんなわけで、2ラウンドと即興詩の対決のみになった。

ぼくは2ラウンドとも音響だけ。クチノハ的戦いに終始した。
楠氏は観客とのコール・アンド・レスポンスを狙った作品などで
会場を沸かした。
試合が観客を前にしている以上、朗読に向いている詩には傾向がある。
音にして伝わりにくい言葉もある。
しかし、音でしか伝わらないものもあるだろう。

いい詩を書く人が、いい朗読ボクサーとは限らない。
朗読ボクシングの詩は、詩のひとつのジャンルだと思う。

2000年3月17日

*
次の日、函館から羽田に移動。すぐ日暮里の和音へ。
のどうたデュオ タルバガンの公演。
馬頭琴とホーミーの嵯峨さん、イギルとホーメイの等々力さん。
モンゴル式のどうたとトゥバ式のどうたの違いは歴然。
ふたりは互いに自分のスタイルをそのままやっている。
でも
函館の疲れもあって倍音に包まれて途中すっかり気持ち良くなった。
今後このグループの行きべきところはどこなのか。

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