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小声コラム#4 誰かに会いたくなる前に

昨年は、人と会う機会が激減したこともあり、年末はいつもに増して実家に帰りたかった。
リモートワークであることをいいことに、東京から逃げるようにして、12月早めに長野に住んでいる弟の家に転がり込んだ。自分が安全であることを自分で確認してから弟の車で一緒に京都の実家へ帰省した。だから1ヶ月間くらい東京から離れて、長野と京都で生活をしていたことになる。


でも不思議なことに、東京に帰りたくなった。
仕事はリモートで完結できて絶対に戻らなければならない理由はないし、また緊急事態宣言が始まるタイミングでわざわざ戻る必要はなかった。
実家に居ればほぼ生活費はかからない上に、ほとんど母さんが家事をこなしてくれる。母さんがあたりまえに家事をしてくれることは、全然あたりまえじゃないと自覚していても、やってくれているからつい甘えてしまう。
たぶん母さんにとっては、自分がやることがあたりまえではないけど、私がやらないといけないことだと受け止めてがんばってくれているんだと思う。
そのことには本当に感謝してもしきれない。


でも同時に僕は、なぜか怒りに似た感情を覚えていた。
それを分解すると、おそらく僕自身に対する情けなさや恥ずかしさや焦りなんだと思う。いやそれだけではない。家族への煩わしさもあった。
ひとりでいれば全部が自分のタイミングで、自分のベストで物事をすすめられる生活のリズムがある。でも家族がいるとそうはいかない。
家族のリズムに不協和音を起こさないようにしなければならない。
とくに母さんは私がやらないといけないと思っていることを受け入れてやっているわけだから、つまりそれは慈善活動であり奉仕であるわけだ。
しかもその行為に対して、ご褒美はほとんどない。(父さんは感謝を言葉にできないタイプだし。)
だからなんというか、母さんの家事に対してひっかかることがあっても何も言えない。機嫌を損なうだろうし、悲しい顔されるのが怖いからだ。
そういった意味で、不協和音を起こさないようにしなければならない。
でも僕はそういうところ子どもだから、隠しているつもりでも態度にでてしまう。(情けないよね。)
だから実家にいると、生活の中にある小さな意思決定もしないし、くわえて怠けるしで、どうも息が詰まってしまう。というか自分で首を絞める。

家族といるのが嫌いというわけではない。むしろ家族は大切な存在だと思っている。ただボクは自分の生活行動にちゃんと責任を持ちたい。今はその実感がほしいのだ。


東京に戻ってひさしぶりに自分の家に帰ると、自分の生活導線に合わせた家具の配置、好きなもので整えられている空間、自由に使える時間があった。
働いて稼いで自分の生活を送ることは気持ちのいいことだ。嬉しいことだ。それはきっと全然あたりまえのことではない。いままでそんなこと思いもしなかった。


また外出自粛期間が続く。ひとりでいることが辛くなって、苦しくなることもあると思う。離れる方が家族にだって会いたくなる。(変なジレンマだなあ。)
でもそれはひとりの生活の上になりたっている。

誰かに会いたくなる前に、ひとりの生活もあたりまえじゃないと感じて毎日を生きなきゃダメだ。

好きでひとりで暮らしているわけではない人だっているから、誤解されるかもしれない。誰もがそうじゃないことはわかっている。それでもだ。


なにもない普通の日は僕たちに暴力をふるうけど、
それでもひとりで生きていることは幸せだと、ボクはそう思う。



#4 誰かに会いたくなる前に

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