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2021/7/21「サバイブ」するためとらない「リスク」

25年前の、しかも恐らく誇張されているだろう記事をもとに社会的に抹殺されていいのか、の是非をネット上で見聞きするにあたって思い出すのは、戦時中、ナチス•ドイツに占領されたフランス人のことだ。ナチスの政策に反発するものは捕らえられ、時に拷問を受け、処刑され、一方協力した人は厚遇された。
ただその協力者は戦後徹底的に貶められた。正規の裁判を経ずに処刑されたものは1万人に達したという。

戦時中のフランスに生きる必要があったらどうするか、をたまに考える。志の低い私には「亡命」の二文字がちらつく。どちらかに与するかを選択しないといけない状況が嫌だと思う。ナチスに協力はしたくない、だからといって抵抗して捕らえられ、拷問されるリスクをとりたくはない。

ただやらない、と決めているのは、自分が「おかしい」と感じている側に明確に与することだ。いじめに加わらないと自分がターゲットになってしまう、だからいじめに加担しないのは難しい、という考え方があるけれど、個人的にそれは「サバイブ」じゃない。生き残ったとしても義に反することをすれば、そのしっぺ返しが遠い未来に、今回のようにくることがある。それは「リスク」をとった行為なのだ。

時代の空気がそうだったから、そんな立ち居振る舞いが当たり前だった、が免罪符にならないことがある。やっぱりこの先「おかしい」に加担するリスクを取らないように、が、今回私が自分に戒めたこと。サバイブするにはそちらの方が大事なように、私は思う。

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