「変わる」がいかにたやすいかということ

明日から正産期に入る。予定日が5/5ではあるものの、もう後は、いつ産まれてもいい。

昨年9月に予想外の妊娠が発覚してから早8か月。いちばん変わったのは体型でも生活リズムでもなく、私の興味関心の対象だ。

「書くこと」への執着が日に日に薄れ、今はいかに産後を快適に過ごすか、会社員の仕事と育児を両立させるか、そして産まれてくる自分の子とどんなことを一緒にして過ごそうか、そんなことばかりを考える。ほんの1年とちょっと前は、所属しているコルクラボの活動を通して、どうすれば「書くこと」を少しでも洗練させられるかに必死だった。ところが今は、ラボの掲示板のやりとりを眺めていても、以前ほど頭にすっと、入ってはこない。

書くことを仕事をしよう。

そう志して3年前に大手の会社を辞め、時間の融通がきく今の会社に転職。それを機にライターの活動をはじめた。そして本業にするには一皮むける必要があると感じて、藁にもすがる気持ちでコルクラボに入った。
そう、ここ数年間の私は「書くこと」に必死だった。にも関わらず、ようやく足がかりができた、と思ったタイミングで、まさかこんなことになるなんて。せっかく縁のあった編集者から声をかけてもらったのに、書きかけの小説やアラフォー女性向けエッセイ本の企画書、全てが中途半端なまま、手が付かずにいる。せっかく目の前にあったチャンスを無駄にしたことはとても歯がゆくて、そんな自分にがっかりもする。

一方で、この急激な自分自身の変化を目の当たりにして、人はいかようにも変われるのだとも思う。妊娠が発覚する前の自分は、もはやほぼ別の人格といってもいいくらい、今の自分とは、興味関心の対象が違う。
「書くこと」への執着が薄れた結果、育児に関してのアカデミックな知見が増え、区や国の育児政策についても詳しくなって、ずいぶんとこの8か月で「母」になる準備が整った。この先もきっと私はその時に応じて、いかようにも変わってゆく。だからこの先再び「書くこと」に興味を持ったなら、またその時に行動すればいい。そう思うと気持ちがふっと楽になる。

人生というのはとても自由だ。何をどうしていくのか、すべてが自分の手の中にある。過去の自分の思いに囚われず、その時に必要だと思ったことを、一生懸命にやる。そうすることで人はいかようにも、自分が思ったとおりに変わってゆく。そう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?