映画「シャイン」と天才にいつも惹かれる理由
いちばん好きな映画は、と聞かれた時に迷わなくなった。ここ数年の不動の一位は「シャイン」、実在するピアニスト、デイビッド•ヘルフゴットの物語だ。神童と言われたものの、毒親気味な父親とすったもんだがあり、勘当を言い渡された末にイギリスに留学。ところがその後に精神をやられ精神病院に長らく措置入院させられるなどし、コンサートピアニストとしてのキャリアが閉ざされる。が、後に運命の出会いを経て、また表舞台に返り咲く。
「頭のおかしいやつ」と思われていたヘルフゴットが場末のレストランでピアノを弾き始め、客を一気に虜にする。その後、きちんとしたホールで、コンサートピアノで、大勢の観客の前で堂々と弾き終える。どちらのシーンも、まるで自分がヘルフゴットでそれまでの苦難を必死で乗り越えてきたような、そんな錯覚を感じて、何度みても胸がいっぱいになって泣いてしまう。それは「嬉しい」「楽しい」などと単純には言い表せない感情で、そんな気持ちにさせてくれる映画は他にないから、やはりこの映画は、私にとって特別だ。
天才がその才能をいかんなく発揮する、または映画「シャイン」のように一度は道を閉ざされながらも、やはり才能が故に再び表舞台に返り咲くコンテンツが好きだ。映画「オーケストラ!」も政治的な理由で立場を追われた元指揮者が再び表舞台にたつ話だし、映画「はじまりのうた」もおちぶれた音楽プロデューサーが、才能ある無名のシンガーと出会ってまた人生が好転する話。映画「海の上のピアニスト」は架空の天才ピアニストの物語。
なぜ天才に惹かれるのだろう?
私にとって、誰かの才能がいかんなく発揮された場面を目撃することは、たとえば旅先で思いがけず美しい景色をみたような、そんな気持ちととても似ている。自分との地続きの世界の先にこんな美しい場所があるのか、と感じることで、この世界への愛着が増す。それと同じように、自分と同じ「人間」が、こんな素晴らしいものを作り出すことができるのか!という事実に触れると、自分もその一部であるかのような、そんな誇らしい気持ちになる。地元からオリンピック選手が出た、に通じる、同じ「人間」にこんな素晴らしい才能の持ち主がいたなんて!と。
この話をパートナーにしたところ、あまりピンときてもらえず、普通はそんな才能のある人間に人は嫉妬しがちでは、なんてコメントをもらった。確か自分自身が成し遂げたい何か、たとえば多くの人に文章を読んでもらえる人に触れると、自分自身を歯がゆく感じて、心が泡立つことも少なくない。
ただ、圧倒的な「天才」に対しては違う。
そして思う。
自分が「近しい」と感じている相手には「嫉妬」を、「叶わない」と感じる相手には「憧れ」を抱くという。
自分の小ささを受け入れること、「天才」との才能の差をはっきりと自覚することは、もしかしたらある意味生きやすさなのかもしれないな、と。
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