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2021/7/18 サバイブできるかもしれない弱点

この日は休日出勤で、実は前日からとても気が重かった。US含めた全社で一丸となってすすめていたプロジェクトのお披露目日で、私はその日のお昼にから夕方にかけて、何かあったらカスタマーサービスの責任者として対応する役割だった。

シフトを引き受けるといったのは私なものの、そのプロジェクトに日頃がっちり関わっている訳ではなかったし、正直何かあった時に対応するには役不足。それでも見様見真似で、なんとか役割を終え、素晴らしい解放感を味わった。そしてこの程度のことで神経を尖らしていてちょっとかっこわるいなと思う。
自信のなさ、というのは自分に対する期待値の高さから生じるという考え方がある。何かあった時にテキパキと対処したいセルフイメージがあるから、そうできなかったらどうしようという恐れが生じる。自分ができないならそれは頼んだ方が悪い、最大限頑張ってそれでダメならしょうがない、そのように私のパートナーは考える。自分に対する期待値の低いことが生きやすさだとしたら、どうも私は真逆の世界にいるらしい。

ただ悪いことばかりじゃない。
ついこの間読んだ本「ワシントンハイツ~GHQが東京に刻んだ戦後」で、印象的だったのが、第二次世界大戦末期、1945年5月24~25日の東京山手空襲で、表参道原宿近辺は焼けに焼け、その際、明治神宮に逃げた人は死に、青山墓地に逃げた人は助かったということだ。アメリカ軍はかなりピンポイントで標的を燃やせる、ということは知れ渡っていて、どちらをよりアメリカ軍は燃やさないと思うか?の賭けだった。こういう史実に触れると、自分はその環境下でサバイブできるのか?と考える。青山墓地は思いつかなかったなあと思う。ただ当時にしては珍しかった鉄筋作りの建物に逃げ込み難を逃れる、というのはアイディアに浮かぶ気がする。実際そこに逃げ込んだ人は助かった。

サバイブすることに対して執着がある。今までの知見で何とか生き残れることを自分にとても期待する。この期待値の高さは、一方でサバイブできる鍵なのでは、とひそかに私は思っている。


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