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志摩旅行記4

3ヶ月振りの賢島駅、そしてとりあえず子どもを連れた大移動の終焉。ここまで来れば後は何があっても後悔はない?

実は旅行の前日に志摩観光ホテルの建築をした村野藤吾について調べていたら、彼に関する興味深い記事を見つけた。

志摩観光ホテルの、ザ•クラブと呼ばれる建物は村野藤吾によるもので、その歴史は戦前に遡る。村野が手がけて、ただすぐに廃業してしまったホテルがあった。ところがかつてそこに泊まったことがある海軍の将校が、是非同じテイストで、と鈴鹿の海軍将校向けの倶楽部の設計を依頼。更にその後、近鉄の建設部が賢島にホテルを建てようとなった際に、ぜひ倶楽部を移設して生かしたいという依頼が舞い込んだ。仕事が仕事を呼んだ格好となり、村野はたいそう感激して、移設した木材を一本一本、自分でも磨いたのだと言う。

ホテルに着いて荷物を置いた後、すぐにこの建物を見に行った。無骨な削りの木の梁をみて、これが村野が磨いた木材か!と、ずいぶんと感激しながら眺めた。歴史を知ることは世界の解像度をあげる。

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あまり整形せず、無骨な木をそのまま使う発想に何だか好感を持った。

その後、建物内のカフェ「リアン」で名物のアップルパイを食べながら、今までよく知らなかった建築家、村野藤吾に思いを馳せた。建築の評判が評判をよんでこのホテルの設計を任されたこと、彼の死後もこんなにこの建物が愛されていることと。なんて建築家冥利に尽きる人生だろう、そして何が他の建築家と違うんだろう?

翌日、ホテルの館内ツアーで、村野が92歳で死ぬ1日前まで設計の仕事をし、死後もしばらくの間村野の設計した建築ラッシュがあったことを知った。そう言うところなんだろうなあ、と少し分かった気がした。

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