“仲間”にだけ、やさしい人たち。
コロナ禍の今、
サラダバーはなかなか大変だ。
マスク着用はもちろん、
手袋も着用しなくてはならない。
もたもたしていると後が詰まって
冷ややかな目で見られることがしばしば。
先日訪れた飲食店は、
サラダバーのスタート地点にドレッシングが置いてあった。
なのでサラダを一通り取ったあとに、スタート地点まで戻ってドレッシングをかけなくてはならない。
みんな暗黙の了解で、自分がサラダを取っていてもドレッシングをかけに来た人に場所をあけてあげていた。
ところが
学生が集団でサラダバーにやってきた。
彼女らはおしゃべりしながらサラダバーを楽しんでいた。
わたしはドレッシングをかけに
彼女らの側に歩み寄った。
「すみません」
声をかけてドレッシングを取ろうとするが、彼女らは全く動かなかった。
「すみません」
もう一度声をかけてみたが
状況は何も変わらなかった。
すみません、ドレッシングをかけたいので、取ってもよろしいでしょうか?
ここまで言わないと彼女らは動いてくれないのだろうか。
彼女らの表情は「なんでウチらがどかないといけないの?」というものに感じた。
「邪魔だな」という声が聞こえてきそうだった。
彼女らは自分たちがサラダやドレッシングを取るときはお互いに気を使って何の問題もなくサラダバーを楽しんでいた。
今は育休中の職場を思い出した。
新入社員と仲良くしようと
先輩方が飲み会を開いても
新入社員は新入社員で固まって
心を開こうとしなかった。
飲み会だけでなく、
普段も業務中も新入社員で固まって
会話をしたり仕事をしていた。
一度、新入社員たちに聞いたことがある。
「先輩たちは仲良くしたいみたいだけど、難しいの?」
新入社員は一言、
「だっておじさんだし」
と力強く壁を作った。
客観的に見ていると、
何の問題もなくて、
やさしい子ばかり。
でもその姿は
彼らが“仲間”だと認識した人に対して。
“仲間”にだけ、やさしいのだ。
そして仲間と仲間以外の線引きが顕著。
だから良い悪いという話ではなくて、
若者が年寄りがという話でもなくて、
そういうものなんだろう。
やさしくして欲しかったら
仲間になれるよう努力すればいいし、
やさしくされなくても
仲間じゃないから仕方ないよなと思えばいい。
仲間にだけやさしい価値観・思考で生きている人たちが、最近増えてきたのかもな、というだけ。
でも、まあ、
自分はそうはなりたくないな。
具のない🍙まき子(@makicome1986)
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